火星の月の下で

日記がわり。

○過去設定の再現

アニメブログの方で『レベルE』について少し書いた。
否定的に書いたつもりはなかったんだが、肯定的、というほどでもなく、連載時に読んだだけだったので記憶もかなりボケてて「あれ、こんな絵だったかなぁ」と書いたところ、「かなり忠実に再現してるのではないか」というコメントをもらった。
このこと自体については記憶が曖昧なのと、コミックスで検証もできなかったので、曖昧にしてしまったのだが、そのコメントに対して、あるいはこの作品に対して、ということでは全然なく、少しひっかかる点があったので思っていたことをこちらに書いてみる。(くどいけど、以下、『レベルE』のことではないことを強調しておく)
過去のデザインを忠実に再現しました、というのが、はたして絶対的な長所なのだろうか、という疑問がある。
もちろん、忠実に再現した、といってもそこは主観によるのだけど、往々にしてそれは「今の流行とは違うけれども」という前提を含んでいる。
流行、という程度ならいいんだが、ある地点まで到達してしまった感性、認識を逆行させて、といったニュアンスになっているときがときどきあるように感じる。
だがはたしてそれでいいのだろうか。
デザイン設定などは、その時代でないと意味がないことが多い。どんなに懐旧の情があろうとも。
今の時代に再現させて、趣味作品、研究作品、ということなら問題ないんだけど、商業ベースとしての娯楽作品として、はたしてその姿勢でいいのだろうか。
その娯楽ジャンルが衰退に向かっているのならまだしも、そうでなければ、その作品自身が衰退へ進んでいるようなものではないか、と思う。
いかに懐旧の情があろうとも、過去も、それ自体は素材に過ぎないのだから。
これはリメイク作品が現れるたびに常に感じていたことで、過去そのものを取り出してくるのならまだしも、過去設定や過去デザインをそのまま踏襲しました、という錯覚まで取り込んでしまうのは、ジャンルとしての老化現象である。誤解のないように、念のため書いておくけど、過去素材を引っ張り出してくる、あるいはリメイクする、ということ自体はなんら問題もなく、その手法について、である。
1963年1月1日『鉄腕アトム』第1回放送からリアルタイムでテレビアニメを見てきた身(留学期間は除くが)としては、たしかに昔の作品がとてつもなく懐かしくなることや、昔好きだった作品を今の技術でもう一度リメイクしてほしい、と思うことはけっこうある。
そして、そうやってリメイクされたものの中には、たいそう気に入ったものもあった。
しかし、勘違いしてはいけないのは、今の技術で再現するとき、今のセンスをも取り込んでもらわなくてはいけない、ということだ。これは今の流行にあわせろ、という意味ではない。もっと微細なデザインセンスの話である。
過去の再現に関しては、もっといろんな要望、あるいは他ジャンルの願望なんかもあるんだが、広がりすぎるのも本来の意図ではないので、このあたりでやめておく。