○クリエイターの高学歴と、実業社会の高学歴
『フラ○タル』というアニメが実に退屈で、それでも一応CVに良い人材をそろえていたのでそれだけを楽しみに見ていた、というか聞いていたんだが、案の定、視聴率では惨敗を喫し、同枠アニメの底辺記録を更新してしまったそうな。
デザインとストーリィコンセプトが発表されたとき、普通に「こけるだろうなぁ」と思ってたら、予想通り、こけた。(笑)
あのデザイン、あのパクリだらけのストーリィで、しかもそのパクリ元があまりヲタク層から好かれていない作品から、というのを平気でいれているあたり、商業作品として出すつもりなら、ふつうわかりそうなもんだが、どんだけ頭が悪いんだろ、と思っていた。
ところが、これを企画した監督は京都大学出身で、ストーリィコンセプトというか、原案を出した人物は、東京大学出身だったという。
創造の現場と、一般の教育、両方に首をつっこんできた人間としては、
「こんな低学歴コンビに作品を丸投げしちゃダメだろ」と思ってしまったのだが、世間一般ではそうでもなかったようだ。
「こんな高学歴がやったのに失敗している」・・・ううむ。(^_^;
実業の世界で言う高学歴が、世間一般の高学歴イメージだが、創造とか芸術とか、頭をつかう現場では、どうしようもない低学歴なのだが、そこら辺を世間は認知できない。
しかしそれもまた当然であって、実業のエリートコースや学歴社会は、実例、モデルと、ちょっと身近を見ればいくらでもあるけど、創造や芸術の育成、というのは、なかなか普通の人には想像できないし、また身近な実例も少ない。
従って、実業の世界の高学歴が、イコール優秀、イコール創造の世界でも優秀、という錯覚に陥るのだろう。
創造者の世界というのとは微妙に違う世界、たとえば将棋界。
天才は中学で四段になり、高校にはいかない。*1大学までいくのは頭が悪い証拠、というような風潮がある。
米長永世棋聖が現役時代に言ったと伝えられる有名なセリフ「兄貴は頭が悪いから東大に行った」*2というのがあって、これなんかも若干の誇張はあるにせよ、実業の世界での高学歴が、頭の勝負だけで決せられる将棋の世界で、何の役にも立たない、という点の示唆にはなっている。
東大を出た棋士、片上五段とか、阪大の大学院に進学することになった糸谷五段、という棋士も最近はでてきたが、これなどはむしろ、棋士になれるくらいの頭脳であれば、世間で言うほどの難事ではない、くらいの認識でいいのだろう。
翻って、創造の世界。
将棋の世界とも違い、生み出す能力とともに、感性や観察眼なども必要で、とても暗記主体の実業・高学歴なんかをめざしていてはとうていおぼつかない。むしろ、暗記主体の現在の学歴システムは、その逆ですらある。
これが冒頭に書いた、創造者にとっては、低学歴大学、という意味である。
学閥、学派が意味をなさないので(契約とか、商業上での対人関係ではあるかもしれないが)じゃあどこの大学が優位なのか、というのは時代によって極端に変るし、固定できるものでもないだろうけど、『フラ○タル』の低学歴コンビが受験をしていた時代だと、○阪芸大とか、日大芸○学部、あるいは武○野美大といったあたりが、高学歴だったのだろう。
もっとも、本当の高学歴は、大学なんかいかずに、十代のうちにプロになってる、というのもあるかもしれんが。
まわりくどい書き方をしてきたが、作品を見るときに、制作サイドにいるときの、実業的観点での学歴なんかは、害の方が大きいので、そんなものは極力視野から追い出した方が良いですよ、という話である。