火星の月の下で

日記がわり。

○立川文庫の人達

立川文庫の人たち(1)なにわ人物伝 −光彩を放つ−・・・より。
立川文庫に関しては、忍者もの、剣豪もの、あるいは大衆時代劇なんかを追っていると、必ずといっていいくらいどこかでブチあたる、本邦大衆文学の一大地下水脈みたいなところがあった。
私が子供の頃には既に「名前はよく聞くけど、実物はほとんど残っていない」状態だったので(それでも最晩期の貸本屋なんかでたまに見たけど)なかなか実体がよくわからなかったのだけど、その後いろいろと研究や復刊が安価で利用できるようになってきて、おぼろげながらもその全貌はつかめるようになっていた。
ところが、その版元である立川文明堂や、講釈師二代目玉田玉秀斎や阿鉄なんかのことはよく知られるようになっていたけど、その影のフィクサーというか、事実上の創始者である山田敬の駆け落ちから語り起こしたこの稿はすこぶる面白い。
もう6年も前のものだけど、立川文庫を知る上で、基本文献の一つになりうるだろう。
実は大衆小説、映画だけではなく、初期忍者漫画なんかにもこの立川文庫はそうとうに濃い影を残していて、白土の忍者漫画の初期には、この立川文庫から取ったネタ、岩見重太郎とか猿飛佐助とか、あるいはそのアレンジなんかが随所にあったし、昭和30年代の武内つなよし堀江卓といったスピード感あふれる時代劇、チャンバラ漫画にもそのモティーフは盛んに引用されていた。
その意味で、立川文庫は映画や大衆小説だけでなく、ストーリィ漫画の上にも重要な影響を及ぼしていたと思える。