火星の月の下で

日記がわり。

◇若さは美貌に優る

昔の人はなぜほぼ皆婚状態だったのか。
社会圧がその最たる理由で、ある一定の年齢になると、結婚しないと社会の中で認知されなかった、というのが最大のものであろうし、そのことはたぶん今更ここで書くことでもなかろう。
女の場合はもちろん、男の場合も、農村社会でさえ「信用」というものに関わってくるし、経済単位としても、共同作業が必須の時代の中で、その圧力は生命に関わるものだったろう。
これに加えて、「家」制度や見合い制度なんかが有効にはたらいていた、というのは、ほぼ日本人の常識だと思う。
そういったことが主因で大きな流れだろうとは思うけど、その補足材料として、美男美女モデルの情報が希薄だった時代に、「個」の選別として、若さの吸引力があった、というのも考えている。
だいたい美貌なんてのは、比較の上に成立するので、その対照たる情報が不足、もしくは自身の所属する生活集団の中にしかなければ、そんなに大きく影響するものでもない。
それに対して「若さ」というのは、情報の過多に関係なく、衝動要因たりうる。
今の時代、妙なCMがあって、有名モデルを看板に出してきて「これで○○歳なんて(信じられない)」みたいなものをチラチラ目にするけど、これなんかもカップリング対照としての異性(現実に実現するか否かは関係なく)として見た場合、かなりおかしな言い回しなわけだ。美貌があっても、現実の「若さ」が喪失していれば、あんまり意味はない。
もちろん、老化による外見の醜悪化、というのが、対異性だけではなく、対同性、対コミュニティといった側面もあるので、それをもって「観点がおかしい」と言うこと自体おかしいのだけれど、根っ子にある対異性、という意識で見ると、どうもひっかかるものを感じる。
夕方、駅を賑わす女子高生や女子中学生の肌の輝きを見ていると、少々容貌がブサイクでも、若さの輝きは十分に魅力的に輝いているなぁ、と思ったことから、漠然と書いてしまった、今日の日記である。