火星の月の下で

日記がわり。

◎『TARI TARI』と親、馬

TARI TARI』第8話視聴。
今期作品の中では、正統的な意味でたぶんベストかと思える作品で、『氷菓』や『じょしらく』も面白いけど、好みという点ではこれが今期ベストかな。
まぁ、異端的、という観点でなら『トータル・イクリプス』もダメすぎて面白いんだけど。(笑)
作品そのものの感想は毎回アニメブログの方に上げているのでここでは割愛するとして、少し気になった親の問題と、馬の問題について、覚え書き程度。
TARI TARI』って、それぞれの親をしっかり描いてるんだよね。
主人公の一人、和奏なんかは、親から受け継がれてきたものがテーマの一つだったりするので、必然ではあるんだけど、昨今というか、もうこの10年くらい学園モノで親がちゃんと描写されているのがいくつか散見されつつあるので、やはり学園を舞台にしたもので、ちゃんと家庭内部、そして親が描かれるのは視聴していてかなり安心する。
親そのものがテーマにならなくても、学園舞台で家庭環境を描くのに親が不在、というのはかなり不自然だし、それ自体が一つのテーマになるくらいの強い根拠がないと、やはり納得できない。終戦直後の戦災孤児があふれかえっていた時代じゃないんだからさ。
和奏だけでなく、来夏も母親や弟の存在はしっかりしているし、第8話では紗羽と両親の問題が大きなテーマでもあったので、紗羽も当然のようにしっかり描かれている。
欲を言えばあとの2人、男子の田中、ウイーン(前田)の方にももう少しそういう描写があると安心するけど、まぁ、男はどうでもいい、という暗黙の了解もあったりするだろうから、そこらへんは画竜点睛の感がなくもないが、まあまあ、といったところ。
教育産業に入ってしばらくして聞いたことばに、次のようなものがあった。発言者は世界史の講師。
「試験に出ないかもしれないことまで覚えるのはムダ、と思えるかも知れないが、そういうことも実は大事。河を橋でわたるとき、数字的には幅30cmもあれば事足りるだろう、しかしそんな橋は怖くてわたれない。」
これ、知識とはどういうものか、という一面を語っていて、妙に耳の底に残っているんだけど、学園モノで家族、とりわけ親、あるいは親の世代を描く、というのも、そういうことなんじゃないだろうか。
TARI TARI』の場合はかなり必然性があるので、あまり気にはならないけど、親の存在がそれほど重要でない作品、軽い萌系やハーレムものなんかでも、この「余分な部分」があるかないかで、描写のリアリティがかなり変わってくると思うからだ。
もちろん現場としての事情もあるだろう、1クールが基本になりつつあって尺にそんな余裕がなくなっている、そもそもおとなをちゃんと描けるスタッフがいない、等。
しかしそれでも、背景でもいいしモブ扱いでもいいから、不自然な親の不在(長期出張中、経済的に成立しているのに孤児環境、等)は極力避けてほしいんだがなぁ・・・。
もうひとつ、馬。
紗羽が公道を馬でパカパカ駆けていったんだけど、道交法では馬って「軽車両」扱いらしい。
したがって自転車と一緒で、公道を走っても問題ないらしい。
しかも自転車と同じ扱いだから、駐輪禁止のところに止めてはいけない、ということらしいので、あの自転車置き場につないでいたのはしっかりとした理由があることだったようだ。
ううむ、ムダな知識がまた一つ増えて嬉しいぞ。(笑)
馬に関わる仕事、ということで、競馬の騎手だったのかもしれないし、高校生くらいだったらあと獣医くらいしか思いつかないかもしれないけど、競技馬術だってあるんだから、そっちの道をきわめてほしいのう。
某有名声優と同姓同名の騎手・井上喜久子選手(五輪女性最高齢出場者)なんかも馬場馬術の選手だったんだし。