火星の月の下で

日記がわり。

初期ノーベル文学賞とモムゼン

古代ローマの歴史」について、少し考えをまとめておきたいので、ギボンとともにこの研究の大家であるモムゼンについて少しだけ書いておく。
まず彼が受賞したノーベル文学賞について。
よく知られているように、テオドール・モムゼンは第2回ノーベル文学賞受賞者で、今日に至るまで、歴史家として受賞したただ一人の人物である。
第二次大戦後、ノーベル文学賞の基準がそれ以前と少し変わってきたため、今後モムゼンのような歴史家や、オイケン、ベルクソンのような哲学者が受賞することはかなりありえないことになってしまったので、最初にして最後、そして今後も唯一の「歴史家としての」受賞者となるであろう。
これに先立つ前年、第1回ノーベル賞をフランスのシュリィ・プリュドムが受賞したが、このとき北欧の文学界ではトルストイが本命視されていて、かなり不満が出たという。
しかし当時の推薦方式を見ていると、トルストイは最初から推薦名簿には載ってなくて、むしろゾラが対抗馬であったらしいことが、70年代に刊行された「ノーベル文学賞全集」*1の選考経過を読んでいるとうかがえる。
ノーベル文学賞は、かつては大国だったが既に北欧の小国になってしまっていたスウェーデンのアカデミーによるものだったので、当初、田舎の文学賞みたいなとらえ方もあったらしい。
人類の希望と理想主義、平和主義に基づく、という理念はあったにせよ、第1次世界大戦以前においては、その意味の重みがまだそれほど浸透していなかった、というのもあったのかもしれない。
翌年の第3回の受賞においても、ノルウェーの国民的詩人・ビョルンソン*2が受賞したのも、今日の視点で見れば、ノルウェーにおける彼のライバルだったイプセンの方が、文学的声名は高かったし、スウェーデンに限ってみても、ストリンドベリは受賞していない。
ある程度この文学賞に権威が出てきたのは、第1次大戦以降ではないかと思う。
モムゼンが受賞したとき、ライバルは英国の哲学者ハーバード・スペンサーだったらしい。
そして受賞対象となったのが、大著『ローマ史』である。
長らく上記の「ノーベル文学書全集」中に訳された抄訳しか訳本がなかったが、現在では長谷川博隆氏のすぐれた業績により、全文の翻訳が読めるようになっている*3。かなり値ははるけど。(^_^;
モムゼンの『ローマ史』はギボンのこれまた畢生の名著『ローマ帝国衰亡史』と違って、古代ローマ史前半の王政から共和制にかけての記述が主になっている。
モムゼンは全5巻を予定していたが、ついにその第4巻にあたる部分、帝政期を著わすことがなかったからだ。
だが、その価値はまったく減じるものではないことが、残された巻を読めば一目瞭然だろう。
帝政期の記載がぬけ落ちている点で、古代ローマの完全史とは言えないにしても、古代ローマ史研究・記述の最高傑作であることは論を俟たない。
個人的にはギボンの『衰亡史』より格段に上だと思うけど、2人が生きていた時代がまったく違うので、比較するのは甚だ愚かなことだ。
それに『衰亡史』の方は、ビザンティン帝国史の方にまで、かなりの分量があるしね。
今回、塩野氏の『ローマ人の物語』を読み終えて、最初に頭をよぎったのが、このモムゼンである。
日を改めて、そちらの方の感想も少し残しておきたいと思う。

*1:主婦の友社刊。日本人として初のノーベル文学賞を受賞した川端康成を記念して、過去に受賞した作家の代表作を翻訳出版したもの。当然、70年代までであるが、この時点でゲェレルプやラックスネス等、この全集でしか読めない作家の作品のもあり、かなり貴重な全集だった。

*2:ノルウェー国歌の作詞者でもある。ただし、イプセンとの比較、という点ではなく、青春文学として『シェンネーヴェ・ソルバッケン(日向丘の少女)』、『アルネ』の2作は早くから邦訳もあり、傑作であったのは間違いない。

*3:ちなみに、ノーベル文学賞全集に掲載された『ローマ史』の抄訳も長谷川氏によるものだった。