火星の月の下で

日記がわり。

○シュヴェーグラー『西洋哲学史』を読む

古書点で戦前の岩波文庫版シュヴェーグラー『西洋哲学史』があったので、買ってきて拾い読み。
哲学史の記述に関しても時代の流行なんかがあって、最近ではこういう記述はめっきり少なくなってしまったようだ。
古典哲学にここまで大きく紙幅をさくというのは最近ではあまり見なくなってしまった。
ただこの古典哲学に関しては「哲学史」なるものが書かれ始めてから2〜3世紀の時を経ているわけで、現代哲学と言ってもいい19世紀末から20世紀全般にかけての記述量が増えてくれば、古典哲学の量が相対的に減ってくるのは致し方ないところであろう。
対して中世哲学史
近代初期から近世にかけての時代感として、古典→中世→近代、とならべたときに、中世が暗黒の停滞時代だった、と考えるのが主潮だったこともあって、記載は簡潔にして、神学論争についてもあまりふみこまなかった。
その反面、後の哲学論へとつながる唯名論実在論についてはやけに詳しい、というか神学論攷を除くとだいたいそこに帰着するように思う。
この手の19世紀から20世紀初頭にかけて書かれてきた哲学史を読む面白さのひとつに、この唯名論実在論の対比、対決を見ることがある。
勢いとしてはいささか弱いものの、主体的感性を前面に押し出してくるその後のドイツ神秘主義なんかもここに根があるので、そういう意味でも面白い。
民族主義以降の宗教的秘密結社なんかについても、今ではその社会性や事件性の方がクローズアップされるが、その内面や信条的結束についての記述は、今日あまりに希薄になっているように思う。
たとえばババリア幻想教団(イルミナティ)なんかその最たるもので、彼らの神秘主義について日本語や英語の著述ではあまりまともなものを見ない。原初フリーメイソンなんかもそう。
その意味で、19世紀から20世紀前半にかけての、こういった停滞期の内面記述が豊かな哲学史(中世哲学史としては量が少ないんだけど)なんかは読んでいて面白いものである。