火星の月の下で

日記がわり。

呪術の浸透過程

クセジュの『呪術』の方を再読してて思ったのだが、中世初期における欧州魔術研究の端緒として、イベリア半島におけるアラビア民俗学の重要さに、あらためて気づかされる。
半世紀近い昔、読んだときにはこういう形成過程や、それ以前の原始呪術の方にはあまり注意が向かず、もっぱら後半の学術的確立の方に目を奪われていたのだが、こうして前半部を丹念に拾っていくとアラビア系統の呪術学やその系統の重要さがあらためて認識されるところであるな。
従来の、というか日本語、英米語における呪術学においては、アラビア学の存在がもっぱら「古典古代からの橋渡し」の役割しか見ていなかった、というのがよくわかる。
実際、アラビア語で当時のトレドにあった呪術学の翻訳センターを追いかけていくのはかなり難易度高いだろうし。
以前、妖術と呪術について少し書いたとき「語学のできないコンプレックス」丸出しのリツイートがついていたことを思い出すと、お手軽に現代魔法だのなんだのを楽しんでいる連中にはいっそう敷居が高いんだろう。
古典語から英米語への翻訳ににどれだけ誤訳があるのか、というのも全然検証してなさそうだし・・・と少し愚痴をたれながら。