火星の月の下で

日記がわり。

もうやめるつもりだった

「めざせプロ棋士」今月は新四段特集で、1日が石井健四段、8日が三枚堂四段、そして今日15日が超速3七銀戦法の星野四段だった。
13歳で奨励会に入り、12年の奨励会暮らし。
まだ20代なので少し大げさかも知れないが、人生のほぼ半分を奨励会で過ごしたことになる。
その間の思い出とかをいろいろ聞き出そうとするインタヴュアーのエリリンではあったが、たぶんあまりにも多くのことがあったからだろう、星野四段は言語化するのにかなり苦労をしている印象だった。6級で入会したもののなかなか上がれず、それどころか7級に落ちてしまい中学の間は6級前後で苦闘。
それを脱してからはすいすい調子よく昇級、昇段を重ねて18歳で三段リーグに入るもそこでまた苦闘。
8期めを迎えたときに関西に移籍するのだが、そのとき「8期で4段になれなかったら、もうやめよう(退会)と思った」という言葉が聞いていて重くのしかかってきた。
この間、星野三段(当時)の名を一躍有名にした超速3七銀戦法で升田賞を受賞していたのに、である。
当時の心境を聞かれて、しばらくことばにつまり、「もう逃げるようにして」大阪に行った、というのだ。
星野四段のしゃべり方は丁寧で謙虚、自戦解説なんかもその人柄が伝わってくるかのような味わい深さだったけど、この関西移籍の頃は、もう本当につらかったんだろうな、というのが、ひしひしと伝わってくる。
そして最後に、超速3七銀戦法が誕生するきっかけとなった、深浦九段の研究会に話が移り、その深浦九段からのメッセージが読まれる。
星野四段は「深浦九段の研究会に誘っていただき、教えてもらって」という謙虚な言い回し。
それに対して深浦九段の方も「星野三段(当時)に教えてもらって、これは優秀な戦法だな」と思い、朝日オープンで使用、対局は負けてしまったけど、それは自分のミスでこの戦法の優秀さを疑うものではなかった、と言うこれまた謙虚な言い回し。
星野四段、この言葉を聞いて、グッと言葉につまってしまい「頭の中が真っ白になりました」
良い話やねえ。
深浦九段の言葉の中に、大阪に移る時の苦悩へのねぎらいがあり、また新しい戦法をどんどん出していってほしい、という期待のことばでしめくくられていた。
「昇段おめでとう」なんていう言葉はなかったけれど、それ以上に深いお祝いの言葉ではなかっただろうか。
新四段のインタヴューを聞いててこんなに感動させられたのは久しぶりである。
来週はいよいよ今期新四段の中でもっとも注目されたあの宮本四段である。これもまた楽しみでありますな。