火星の月の下で

日記がわり。

◎縦資料と横資料

モノクロ時代のテレビアニメなんかが割と容易に入手できるようになっていくつか楽しんでいるわけだが、最近はこういうのに慣れてきて「時間差ギャップ」みたいなのにも驚かなくなった。
昔、と言っても20〜25年くらい前だったが、リバイハリバル映像で『ジャングル大帝(TV版)』を見たとき、あれ、こんなにしょぼい動画だったっけ?・・・と思ってしまったことがあった。
テレビ放映が1965年、リバイバルで見たのが90年前後のことで、この間約20年と少し。
既にアニメの作画技術は格段に進化していたし、モノクロアニメとかとの比較だと「昔の作品だからこの程度に感じてしまうのだろう」と思っていたが、初の国産カラーアニメで、当時その色彩に驚き、目が釘付けになったという記憶が残っていただけに、この「あれ?」という感覚はけっこうショックだった。
オリジナルを見ていた世代でさえこうなんだから、それを知らず、現在の環境で見たりするととんでもない時間差ギャップをくらってしまいそうである。
アニメみたいに技術の進化が著しい分野だと、10年20年前の作品がもう別世界のことのような感覚になってしまう。
やはり技術進歩の著しい分野で古い作品を見るときは、同時代作品も見ておかないと当時の空気はわからんし、間違った評価、感覚になっちゃうだろうな、と思ったものだった。
縦の流れ、つまり通しで語れる資料、時代性、なんてものは割と経験がなくても正確に認識しやすい。
平成生まれの子供でも、ガンダムが1979年で、その後第2作と言っていい『Z』がその後6年の時を経て1985年に生まれて・・・と言ったようなことは簡単にわかるし、まるでその時代を体験でもしていたかのように詳細に語るのはまったく難しくないし、興味を持っていればむしろ基本知識になってくるだろう。
しかし、同時代資料、同じ時間の中での横のつながり、時代的制約、というのは、意識して摂取していかないとその革新性はもとより、保守性でさえ見えてこなくなるだろう。
「経験しないとわからない」・・・というのはたまに聞くことばではあるけど、正確にはこの言葉は正しくない。
経験していなくっても、経験していた人以上に認識し、正しい判断、把握ができることもある。
ただし、それにはそれなりに面倒な努力をともなっていて、という前提条件があり、興味にまかせてその作品と、時間的な流れだけ追っているとそれは体得できない。
従って正しくは「経験していた方がわかりやすい」であると思う。
通時性と共時性についても同様なことが言えるだろう。
昔の作品を語るときは単に「懐かしい」だけではなくて、そういう共時性に関しても注意を払ってほしいと思う。特にプロのライターさんは。