火星の月の下で

日記がわり。

◎『六花の勇者』に見る映像表現の難しさ

六花の勇者』第11話、視聴。
結局まだ七人目は不明、そして次回最終回、ということなのだが、霧のトリックをアドレットがあばき、自身の疑いも消し去るお話、ただしアドレット本人は重傷。
最終的な解決はおそらく次回になされて、それで一段落(原作はその後も魔神とか八人目とかで続いているらしい、未読)で一応のしめ、だと思うが、出だしファンタジーアクションに見せかけて、結局推理ものでした、というのはそこそこ面白かった。
「面白かった」としてしまうのは次回の最終回を見てからだけど、現時点ではこう言ってもいいかと思う。
面白かった要因のひとつとして、アドレットによる謎解きが伝統的本格のスタイルを踏襲していたからで、たとえば今回の霧のトリックにしても、出血による体温の低下、湿度の高さと神殿域近くに来たときの体感温度についてが回顧され、その辺にうまく帰結していたし、アドレットが疑われる原因になった結界発動条件に対するハンスのつっこみにしても、その時点で描かれていた条件をうまくつなぎあわせていたから、というのもあった。
原作は読んでないけど、これ、たぶん文章で読んだらそうとう面白いんだろうな、という気にはさせてくれる。
そこであらためて考える、映像による推理モノの難しさ。
文章だと、物語の中への組み込み型によって物語的な錯覚や隠蔽はできても、文章としてはすべて並列で、隠されたように見えても種明かしの時にはすぐにその場面がひらめく。
古典作品の名作などはだいたいそのへんの叙述と並べ方がうまい。
しかし映像の場合だと、フラットにならべることが困難で、あとあとのためにわかるように描いてしまうと伏線の段階でネタが割れてしまうし、かといって隠しすぎるとアンフェアな情景になってしまう。
今回のこの霧のトリックにしても、セリフの部分を繋いでいたのできれいにつながったけど、映像の部分だったら早期に割れていたのではないか。
このあたりのバランスがなかなか難しく、特に動きまで伴うアニメの場合だと漫画以上に困難に見える。
過去に推理ものがなかったわけではないし、むしろ一ジャンルと言ってもいいくらいの量があるけど、推理ではなく探偵というキャラクターの方に主眼を移したもの、あるいは正統的な本格指向はとらずに後出し情報での解明、そういたものを除くとどれくらいの作品が残るのだろうか。
そのあたりあまり数を見てこなかったので、ジャンル全体でこうだ、などと決めつけるつもりは毛頭ないけど、『六花の勇者』に関してはかなり苦労して本格的な推理を踏襲してくれた、という感じを受ける。
ともかく次回の最終回だね、ここまではかなり良かったと思うので。