火星の月の下で

日記がわり。

○「先生」という言い方

特にどの作品というわけでもないのだけど、ちょっと気になる言葉として、制作者側の言う「先生」ということば。
「初回限定版には、なんと○○先生描き下ろしマンガが!」とか「本作には○○先生も参加されています」とかいうあれである。
創作者に敬意を表わして、というその姿勢自体はたいへんほほえましいし良いことだと思うのだけど、作り手側が言っていいのかなぁ、という気が少しする。
○○先生とやらも、参加している以上、送り手であり、作り手であり、売る側になっているのだから、本人が言ってないにしても、構造的には自分で自分を○○先生がお描きになられた、という形になってしまい、尊大なことこの上ない。
作り手側なら「○○も描いている」でいいのではないか。
昔の小咄で、とある会社で役職を持つまで出世した息子に電話した母親が、身分を名乗らなかったため「○○はただいま会議中です」と言われて、「息子は出世したのに会社内では呼び捨てにされるくらい扱いが悪い」と言って憤慨する、というのがあった。
会社としては、身内なので「部長は今会議をしておられます」とはいえなくて、ちゃんとこの人物が○○の母親だと名乗ってたらしかるべき敬語で話してくれたはず、というのがあった。
落語の枕か何かだったので、細かなところが違っているかもしれないけど、会社内部の人間について報告するときに敬語は使わんだろ、という大筋は変わっていないはず。
そういう送り手と受け手の感覚が麻痺してんじゃねーか、と思ってしまった、とある夏の夜のことでありました。
くどいけど、何か特定の作品に対してじゃないよ。