火星の月の下で

日記がわり。

大ヒットを分析できない

いろんなところでいろんな人が言ってるので、リンクはもうはらないけど、「劇場版『鬼滅』がヒットした理由がわからない」と言われている件について、少しだけ。
流行の渦中にいるときは冷静な頭で考えられないことが普通だから、「理解できない」というのはある意味仕方がない。
ただそういう現象に対してコメントすることで食っている駄評論家どもが、「分析できない(理解できない、ではない)」と言ってることについては、少しばかり違和感が。
ヒットの理由を「分析する」と言うことは、その分析結果が普遍性を持ちうるか否かで価値が変わってくるのだけど、それについては考えが及んでいない駄犬のいかに多いことか。
分析結果が他の作品に応用できるのかどうか。
今回の『鬼滅』の大ヒットのような現象が、そうそう頻繁に起こることではないので、仮に分析するのであれば作品性や中身の部分以上に社会状況という外的要因についても考えなくてはいけないのだけど、それを渦中にある時期に行うのは極めて困難。
ここでいう社会状況というのは、心理的、感性的状況のことだけど、要するに、全体としての嗜好性がどの方向に向いているか、ということ。

現象面だけていえば「デザインが良かったこと」と「スクリーンの異常な多さ」に帰結するんだろうけど、それだけだとその条件を満たしつつ今回の『鬼滅』のようなヒットに届かなかった作品がないわけではないので、納得できないことになる。
しかし現状での分析が可能だとすれば、ここいらへんで止まってしまうのは仕方のないこと。
そういったことが理解できてない駄犬が多すぎるので、自分のよく知らない作品がヒットしているのが面白くない、見たけどよくわからん、という感情だけで書いて(言って)しまっているわけだ。
これは分析ではない。

わかるわからない、好き嫌い、という感想として残すのなら良いのだよ。
でも感想だと一段低く見られてしまうから、インテリぶりたい、事情通ぶりたい駄評論家、駄クリエイター諸氏にとっては面白くない。
そこで小難しい表現(小難しいだけで内容は皆無)を連ねて、分析しています、というポーズをとらないと、おまんまが食えないだけでなく、自分のプライドも痛む、と言ったところかな。
今回のこの大ヒットで、頭がある評論家とない評論家の識別ができて、良い試金石になったんじゃないかな。