火星の月の下で

日記がわり。

ネットは既に世界であり社会であるのだが

「「記者は不倫している」「日本国籍ではない」…“マスゴミ”叩きをするネット民の「頭の中」」
(ps://gendai.ismedia.jp/articles/-/82117)
こういったマスゴミ側からの反論も大事だと思うので、少し書いておく。

マスゴミ側からの反論で、よくわかってなさそうな意見がしばしばあるが、ここにもそれがいくつか散見される。
つまり、ネットの量的、空間的巨大さを理解していない、もしくは体感できていない、と思える点。
この人は、マスゴミに批判的なものだけを抽出して、それに対してかなり感情的に思える論陣を張っているけど、それはネットの総意ではない。
そもそもネットに総意なんてないのだけど、どうもそういう観点で書いているようだ。
ネットは、ネット民は、と主語にして書いているところが見受けられるしね。
日々巨大になっていくネット社会は、もう右だ左だといった簡単なタグで仕分けられる時代なぞとっくに終わっているのだから。

インターネットは、使われている手段、ツールに過ぎない。
新聞や週刊誌、テレビ、ラジオより巨大になっているのに、そのことについてはあまりに無神経というか、無関心というか。
「ネットは」というくくりではなく「世論は」というくくりにすべきなのだが、それだと叩かれているマスゴミが世論の敵、民衆の敵に見えてしまうからだろうか。
多くの共感を得ているネットの論説やまとめ記事は、マスゴミが隠したがっている事実、過去の発言などとの整合性、一貫性を元にしているものが多い。
もちろんここで半ば脅迫的に使われているデマ記事も多いけど、それはネットが一つの社会であり世界であるのだから、同時に存在する。
きわめてあたりまえのことだ。

「事実をまとめられたので、不都合だから反論する」のがマスゴミの特徴と言われるゆえんかな。
反論したいのであれば、誰が見ても低劣だとわかる「便所の落書き」を相手にするのではなく、事実や過去報道を元にしたところと、正論でぶつかってごらん、と言いたいね。
そういったところには、決してかみつけないけどね、キミたちは。