火星の月の下で

日記がわり。

無敵の人

「無敵の人の暴走、いよいよ止まらなくなる」
(p://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5858482.html)

いろいろ原因はあるだろうし、全てひとまとめにしていいかどうか、というのもあるけど、ネットによって情報が簡単に入手できるようになってしまった、というのはあるだろうな。
つまり原因とか動機とかいうより、手段を得てしまった、みたいな。

それこそ昭和の大昔から、劇画なんかではちょくちょくこういう題材があって、社会の底辺でひっそり生きてたヤツがなにかのはずみで暴走してしまう、というのはけっこう見た。
その頃は、そういった事件になにかの社会性を仮託させようとしてたので、受ける印象はそうとう違うけど、社会の片隅にいた人間が暴発するかも、という発想あるいは自分だったらそうなってしまうかも、という考えはけっこうあったのだ。
無敵の人とは少し違うかもしれないが『太陽を盗んだ男』なんかもこの文脈で見ることができるかもしれない。
だが一度はそう思っても、ほとんどの人間がその手段を持たないことから、だいたいが頭の中で完結してしまう。

そしてもう一つ、社会の閉塞性。
いつの時代もあったことだったけど、今はそれによって簡単に発火してしまう。
かつてはパニックを妄想しつつも、自分がそうなるかも、という感覚だったけど、今では被害者になるかもしれない、という別の恐怖がある。
都市部への集中度は、昭和の頃とは比較にならないし。

これから12月。
クリスマスやら歳末やらで、劇場犯罪を起こすには舞台が整ってくる時期なので、町に出るときはいろいろ注意しておかねばならない。
不可抗力に終わる可能性が高いにしても、そういう意識を持っていると生存確率が上がるかもしれないしね。