○1970年代前半の引きこもり事情
職歴なし還暦ニートの俺、失ったものの大きさに涙が止まらない・・・という、本当だとしたら同世代か少し上の世代の話が載ってたので、自分の過去経験とてらしてみて、甚だ主観的ではあるが検討してみた。
だがその検討に入る前に、前提条件として次の2つを確認しておく。
1.まずこの話が本当と仮定して、ということ。
つまり、ネタとしての作り話、いわゆる「釣り」の可能性もかなり感じるし、実際この程度のことだったら創作は十分可能なのだが、一応、親年齢、職業等含めて載っているデータが本物である、という仮定の上に書いてみる。
2.ニートを引きこもりの意味で使っているようなので、それに準じておく。
NEETというのはもちろん、無学歴、無職歴の若年労働者のことなので、20歳過ぎた成人にこれをあてるのは間違っている(しかもこの人は高校に進学したらしいので、無学歴とまでは断定できない)のだが、もういまや日本語の世界では、無職で家にずっといる人を総称してニートと言っているみたいなので、用法としては明らかに間違いなのだが、この人の使用に準じておく。
よって、以下に書くニートとは「NEET」のことではなく、日本語としての「ニート」である。
まずここから。
父が今年88.母が85です。
父は去年から腎臓が悪くて透析開始して老いを感じる。
引きこもったのは18のとき、簡単に言えば高校でのいじめ
そのままずっと家に引きこもってたら60になってた。
今60歳として、生まれた時の年齢が父28,母25。
あとで出てくるが、けっこう堅い職業の人ならば、逆算して1950年代前半から半ばの結婚、出産ということになり、当時の年齢としては妥当なところだと思う。
もう少し下でもいいかな、とは思うが、結婚してからしばらくは子供がいなかった、と仮定すると婚姻年齢はもう少し下げられるし、まぁ妥当な線。
そして今回これを書いてみようと思ったこと、引きこもった頃の時代背景である。
逆算してみて1972年、昭和47年に高校を卒業したことになる。
では、1972年頃に、進学もせず就職もせず、ブラブラ家にいるだけの若者がはたしてどの程度いたのか。
この翌年に第一次オイルショックが起こり、戦後ずっと右肩上がりで続いていた高度成長時代が終焉を迎える。
感覚としては、まっとうな家の子弟であれば、昭和が終わる前後、1985年くらいまではかなり考えにくい。
まっとうな家でなければ正規の職につかない、という人間はかなりいたが、それでも「働いていない」というのはほとんど見かけなかった。
だが、進学の浪人生、というのはかなりいた。今よりもかなり多かった。
そこで推測だが、進学に失敗して、そのままズルズルと、というパターンかな、というのがまず思い浮かぶ。
高校は地元で一番の進学校だった。
でもそこでいじめられた。だけど頭が良かったものだからブルーカラーの仕事につくのはプライドがゆるさなかった。
父親は銀行員、母親は小学校教師だった。
免許はなくても困らないとこ住んでるから持っていないよ。
この2つからそれが想像できる。
昭和40年代というと、まだ私大が今ほど多くなかった。
教育関係にいるので、いろんな時代の入試の難易度についてはけっこう比較できるつもりだが、上の方はよくデータが出るが、下の方はなかなかデータがでにくい。
従って下の方、底辺についてはどうしても「現状の感覚」で想像してしまいがちだが、オイルショック以前の底辺私大は、現在の底辺私大に比べると、まだかなり上の方である。
推薦入試は既に登場してはいたが、今ほどは多くなかったし、一芸入試なんてのもほとんどなかった。
一応入試問題を解いて入学する、というのが大勢だった時代である。
そういうところは一発勝負になりやすいので(特に私大は科目数が少ないので)学力のある子でも当日の体調とかで「意外な失敗」をしてしまうことがたまにあった。
だからこそ、そこそこできる子でも「すべり止め」というのを受けていたのである。
この人は、「プライドが邪魔をして」そういった滑り止めを受けなかった、結果失敗してしまい、そのままズルズルと言ってしまったタイプかな、という気がする。
ネットのなかった時代、浪人で成功するっていうのはかなりの精神力が必要とされた。
当時「浪人した人の方が人間が磨かれている」なんてことを真顔で言う人もけっこういたが、それはこの普通にしていたら学力が下がって当然の「浪人時代」に学力を引き上げできたことによる精神力の錬磨、みたいなことを言っていたのだろう。
そして昭和40年代くらいだと、実際にそういう大学生もけっこういたのだ。
ただこの人はそこまで精神力が強くなかったのだろう、あたり前のように学力を下げてしまい、年々うまくいかなくなっていき、ついには受験すらもせずに引きこもってしまった・・・ということなのかもしれない。もちろんこの辺、想像だけど。
ひとたび「無為の生活」になじんでしまうと、時間の経過ってのは恐ろしく早い。
それでも実際は食べていけなくなるので、無理矢理にでも働かざるをえなくなるのだが、そこに最低限の食生活と住居があったらどうなるか。
当時、浪人がずるずる長引く人、というのは、もちろん多くはなかったけど、それなりに見た。
一浪、二浪程度ではなく、とにかく四年、五年浪人してでも旧帝大クラスに合格したい、国立大医学部や旧帝大系法学部に入りたい、という人はそこそこいたのである。
加えて、地方公務員試験なんてのは「高卒が行くモノ」としてバカにしていた風潮も地域によってはあった。従って、進学できないままズルズルと、というのはかなりありそうな話なのだ。
ただそれにしても、その間に両親との間に何かありそうだし、学歴的な出世がもう無理でもなんか上の方に行きたい、性的な意味での結婚がしたいとか、もろもろのことがあって、普通はそこから抜け出てきて、当初の意識からしたら不本意ではあっても働こう、と思ったりするものだ、くらいの社会意識はまだ残っていた時代だと思う。
ということで、このネタでひとくさり考えみたわけだが、「ちょっとありえない」と感じてしまったのは、当時の社会風潮はそれを許さなかったのではないか?・・・という感覚だったのだけど、いざ時代の上に置いてみるとそうでもなかったかな、と思える。
今後、社会全体が貧しくなっていくので「働かずに飯だけ喰っている」層というのが減ってくる、という推測もある。
未来のことはわからないけど、人生の過ごし方の一つとしてはでてきてもおかしくはないかな、という気持ちにはさせれられるな。