火星の月の下で

日記がわり。

ステータスの見えるアニメ

今に始まったことじゃないんだが、異世界系アニメで、相手のステータスが見える、という設定が、どうにもなじめない。
もちろんステータスが見える、というのは作品によって違いがあり、何かの能力として見えるものもあれば、もう最初からそういうものだとして説明もほとんどないものに至るまでいろいろ。
ただなぁ、相手のステータスがパッと表になって出てきて、強さや体力(HP)なんかの状態がわかる、っていうのは、ストーリィ進行としてどうにもひっかかる。
まだ8bit、16bitとかの時代のPCゲームで、進行をスムーズにするためにそういうのが導入された、ってあたりだと何にもおかしいとは感じなかったのだが、それがアニメに導入されて、あるキャラの個性なり説明なりに使われ出すと、どうにも「物語の手抜き」に見えてしまうんだよなぁ。
実際の「人格を持った」登場人物がいて、それがほぼ初対面の状態で、強さや属性、果ては現時点の体力、能力までパッと別の作中人物(多くは主人公)にわかってしまう、っていうのが、人間描写なり関係性なりを描くことを放棄してしまっているように感じるのだ。
物語の作り手として、そういうのでいいんかい、という気持ち。
同時に受け取りての側も、そういう数値化された属性を見て楽しいのかね。
まぁそれが有意だと思われているからこれほどまでに流行っているんだろうけど。
人間と人間が知り合って、関係性を持って、好きになったり嫌われたり、戦ったり連携したり、こうだと思ってた人格がそうでないことに気づいたり、また思っていたのと違ったり。
そういうのが物語作りじゃないのかなぁ。
その辺の作りをちゃんとした上でステータスを出してくる作品もあるんだけど、どうも感覚的に少数派な気がする。
アニメとかになってくると、時間的制約が他のジャンルより厳しいので、そういった手法に逃げないと商品として計上できない、というのがあるにしてもね。

あんまり数字だけで、そういった属性や個性、能力なんかを終えてしまわないでほしいなぁ、と思ったりしてしまったのでありました。