火星の月の下で

日記がわり。

◆甲賀忍法帖と、昭和30年代の忍者漫画について

作品それ自体も、せがわまさき以前に何度もコミカライズされているが、独立した漫画作品にも、風太忍法帖の影響は顕著にあった。全ての漫画作品を俯瞰するのは不可能だけど、それでも戦後忍者漫画の2大巨匠、横山光輝白土三平については、少しばかり思うところがあったりします。
まず、伊賀の影丸・若葉城編。
伊賀の影丸は、実質、第2部とも言うべき「由比正雪」からがスタートと言えるので*1、この若葉城をもって、伊賀影全体を風太忍法帖の影響で考えるのはいささか酷なのですが、一読すれば誰でもその影響はわかるであろう。かなり露骨に風太忍法帖からの忍術の拝借がある。
一方、白土三平の『忍術武芸帖』の方は、それほどあからさまな忍術の拝借はないものの、体術や忍具を使用しての戦いよりも、おのが身体を奇形に変形させた異形の者達の戦いに力点がおかれていて、その解説や、奇形の者達によってなされる奇怪な忍法(というかほとんど妖術)の案出法は、かなり風太忍法帖の影響を感じるのである。もちろん白土作品の骨子は、勝負ごとのみにあるわけではないが、後年の忍具や薬品の使用に対して、合理的な(と、少なくとも当時の読者には思えた)解説をつけて、唯物論的な忍者像を築き上げていった作品群とはかなり一線を画するものだと思う。*2
この両御所にしてからが、こういった状況ではあったが、この2人は、まったく違う方向へ、ではあったけど、この奇形・異形体質の忍法作話から徐々に脱却し、忍具や武芸、といったもののディテールを描きだす方向へむかっていく。
この両者の、両者の個性による忍者漫画について、もっと書きたいけど、少し疲れたので、またの機会に。

*1:伊賀影第1部・若葉城は、1961年4月〜11月にわたって週刊少年サンデー誌上にて連載されたものだったのだが、この第1部は、編集サイドからはあんまり受けがよくなかったため、終了後すぐに第2部由比正雪が始まったわけではなく、この後『宇宙警備隊』という作品が3ヶ月にわたって連載されている。名作の誉れ高い『伊賀の影丸由比正雪編』が始まるのは若葉城編が終了してから9ヶ月後の翌1962年11月からのことであった。以後、第3部『闇一族』、第4部『七つの影法師』、短編『影丸と胡蝶』、第5部『半蔵暗殺帖』、第6部『地獄谷金山』、第7部『邪鬼秘帖』、第8部『土蜘蛛五人衆』、第9部『影丸旅日記』へと、若干の準備期間を間にはさみつつ、連載が続いていくのである。この1年近く間が開いたことで、第1部と第2部以降では絵柄の変動がはっきり見てとれるし、スピード感あふれる忍術勝負に徹する第2部以降に比べて、第1部には、まだまだ牧歌的な、御伽噺のような雰囲気も感じられるからだ。

*2:後年の白土作品のうち、こういった合理的解釈を中心にすえた忍術漫画における、アシスタント諸氏の業績、ということは、実はかなり大きく、ほとんど彼らによって描かれていた作品もあるのだけど、ここではひとまず不問とする。