火星の月の下で

日記がわり。

△負の選択〜搾取階級の愛国心に対して

愛国心、について常々疑問があって、世襲代議士や高級官僚の言う「国のために」とか「将来のために」という言葉は、はたして愛国心なのだろうか、という点。
利権をむさぼれる立場に来た人間にとって、「国」というのは、自分が支配し、金品をせしめ、奴隷のように扱える国民がいる土地、という意味ではないのか。こういう疑念が常々あった。
誤解なきよう付言しておくが、ここで取り上げる愛国心は、搾取階級のそれである。権力をもたない市民、あるいは憂国の士たる心有る人々の愛国心のことではない。
つまり、支配し、差別することにより優越感にひたれる土地、そういったものへの執着。従って、別に日本でなくてもいいわけで、異民族の利権であっても問題ではないわけだ。
そういう連中が肥え太るこの日本という国。そういうところに負の選択をしたい、という心、それが理解できる、ということである。
その文脈で考えたとき、改革はどういう意味を持つのか、国家破産がどういう形で起こるのか、ポイントというか、考えていく足場は、そこらへにあるような気がする。