火星の月の下で

日記がわり。

吾人は範をかのレクラム文庫にとり・・・

電撃文庫は、電撃文庫であることをまったく意識せずそこそこの冊数を買って所有してるわけなんだけど、作者後書きを読んだあたりで終了、よってそこから後はまず読まなかった。たまたまなんかのはずみで(たぶん著者近影かなんかを見ようとして)あとがきの後の方も見てしまったんだけど、「電撃文庫創刊に際して」という一文があって、そこに「レクラム文庫」の名前を見つけてしまった。
全文を書き写すとちょっとまずいことになると思うので、その該当箇所だけを引いてくると、「・・・その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫は知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。」どうだろう、ペンギンブックスとレクラム文庫を同列に掲げている違和感はひとまず置くとして、やはり、あの昭和2年7月に書かれた、岩波文庫岩波茂雄銘による、巻末の名言『読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して―』を思い浮かべるのではないだろうか。
これは素晴らしい名文なので、本当は全文を転載したいところだがそうもいかないので、レクラムの名が見える文だけを引っ張ってくると、「・・・吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲す。」
この前の方にも、なかなかすばらしい文章があって、文庫人の黎明、誇り高き読書人としての気概を感じるのだが、その中に、模範として上げられた吾らがレクラム文庫の名は、十代の幼き日に、燦然と輝いていたのだった。
レクラム文庫を読み出したのがいったい何時ごろからだったかは正確には覚えていないが、中学に入った頃には、ゲオルゲやトラークルの詩に親しめる程度には独文に慣れていたので、たぶんその頃から読んでいたと思う。それは自分で購入したものではなく、実家にあった、父や父の兄弟姉妹が買っていたものを書庫に見つけて読んでいたのだと思う。
自分で始めて買ったのは、丸善の神戸支店で購入した、E.T.A.Hoffmannの『Die Bergwerke zu Falun』で、これは今でも好きな小説のひとつだ。
岩波の方は、もっとはっきりしない。たぶんこれも父の書庫にあったものを拾い読みし始めたのが最初だったと思う。
まぁ、そんな思い出があったりするので、レクラム文庫の名前にはひときわ愛着があるだけに、電撃文庫で名前を見つけると、ちょっと妙な感覚になってしまったわけだ。
電撃の方の創刊の辞は、角川歴彦氏によるもので、どこまでこのレクラム文庫に対して思いがあったのかは知る由もないのだけど、嬉しい気持ちよりも、唐突感の方がかなり強い。
一読した限り、かなり岩波文庫を意識したような錯覚にもとらわれてしまったのだが、もう少し砕けた言い方でもよかったのではないか、と思う。
だって電撃文庫は、智の集積というよりは、口語文化の継承発展、というニュアンスの方が強いしね。
とまぁ、そんなどうでもいいことをグダグダ考えていた、雨の土曜日の夜なのでした。(笑)
思い出といえばもう一つだけ。
東京に出てきたとき、一番のショックは、信山社に行けば、このレクラム文庫が常備してあったことで、十代のときの、この文庫を求める苦労がいったいなんだったのか、と愕然とした記憶がある。
その後、関西でも常備してある書店のあることは知ったけど、信山社の片隅で見つけたときの衝撃は、今も頭のすみっこの方にこびりついてたりするのだった。
[03/19]追記
岩波文庫発刊の辞・全文は、岩波のHPで読めるようだ。