火星の月の下で

日記がわり。

ウルフィラ以外のゴート語

1月にゴート語について思いつき程度のことを簡単に書いたけど、ウルフィラのゴート語聖書以外、まとまった文献がほとんど残っていない、ということなので、今後気がついたらいくつか追記しておこうと思う。
もっとも、ゴート語そのものについては、綴字のそのものの表記問題(というか、フォントかな)もあるので、そっちには少なくともこのブログで立ち入ることはしないと思うけど、周辺事情についてはわかる範囲で断片的に記録しておきたい。
まず、1/19の日記でも少し書いたクリミアゴート語、これは日本語Wikipediaにも載ってるようだけど、フランドル人の外交官であるブスベック(Ogier Ghiselin Busbecq)が1560年から62年にかけてクリミア半島で採集した単語群で、これがだいたい80語くらい残っている、ということだ。
聖書ゴート語に由来しない、むしろ方言のような感じだったらしいが、これがクリミア半島の一角で18世紀くらいまでは存在していたらしい。・・・ということは、現存はしてないわけだね。ロシアのキャサリン、エカチェリーナが強制退去させちゃったらしいから。
クリミアゴート語とは少し違うけど、9世紀頃にストラボン(Walahfrid Strabo)がドナウ川下流地域の教会でゴート語が使用されてていたらしいことも記録している。ただ、これは既に生活言語ではなくなっていたようではあるが。
自由になる時間が腐るほどあれば、ゴート語は、パーリ語、アヴェスター語とともに、もう一度ちゃんと体系だててしっかり勉強しなおしたい、と思っている言語である。
年齢を考えると、もう夢まぼろしの話にすぎないんだけどね。