火星の月の下で

日記がわり。

デモンベインを見て

先週からWOWWOWで始まったデモンベイン
まぁ、アニメ作品としての感想はアニメブログに書いたので、こっちではその周辺について。
第1話から、「ミスカトニック大学」とか「ネクロノミコン」とかの単語がデコラティブに出てきたのだが、いかにもなエロゲー的少女、巨乳女がこれでもか、っていうくらいでてきたので、なんかどうにも居心地の悪さを感じてしまう。
元ゲームのときは、そういった情報は意図的にかカットしてやってたのであんまり気にならなかったけど、アニメだと音声として耳にとびこんでくるので、けっこう辛い。
だってねー、HPLもので、女が出てきちゃいかんでしょ。(笑)
終生を怪奇小説の執筆と研究に明け暮れたHPLは、同時に女嫌いでも有名で、作品の中にロマンスめいたものや、性愛っぽい夾雑物がはさまってくるのを極端に嫌っていたからだ。
女性コンプレックス、みたいな後付けも出来ようが、むしろ、性的な欠損に起因する19世紀幻想小説怪奇小説とは違い、もっと根源的な恐怖と怪奇を嗜好していたHPL怪奇小説観からの理解の方がモダンで理解しやすい。
HPLが童貞だったかもしれないとか、女性にコンプレックスがあったのかもしれないとか、性的願望の裏返しだとか、そうだったかもしれない分析もたまに見るが、正直そんなことはどうでもいいし、HPL作品の本質からはほど遠い。
従来の怪奇小説が、前頭葉的であったり、皮膚感覚的だったのに対して、HPL怪奇小説は、人間存在そのものをおびやかそうとしてたち現れる、極めて脊髄的なものだったと思う。
それゆえ、女性の影をとことん除きつづけたことは、作品の本質とぴったりあっているので、作者本人の性的原因の追求とかはどうでもいいわけだ。
そういう目で見ると、いかにも人格を持ち、自己主張をし、魅力的な肉体を有する女性キャラクターがでてくる、っていうのは、HPL式邪神神話としては、違和感バリバリなのである。
まぁ、エロゲをした連中とか、アニメを見ている連中とかの9割程度は(もちろん根拠のない目算だけど)HPLの方を後付けで知った連中だろうから、マーケティングとしては気にする必要もないし、そのことでアニメ作品の質が問われるわけでもないと思う。
そう思うのだが、昭和40年代に始まる創元の「怪奇小説傑作集」所載・「ダンウィッチの怪」に始まるHPL翻訳第2世代としては、その名前だけが単なる材料として使われているもどかしさを感じてしまうわけなのだ。
誤解のないように書いときますが、アニメの方は、絵もきれいでしたから好きですし、楽しく視聴してますけどね。(^_^;