火星の月の下で

日記がわり。

●まなび的闘争

あるサイトで、まなびストレート学生運動をやってることに触れてたけど、このもやもやした違和感はいったいなんだろう。
例によってその記事を批判するのが目的ではないのでリンクとかは貼らないけど、学美のアジ演説に、学園紛争やらビューティフルドリーマーの影やらを見ているもの、みたいな記事には「ちょっと違うんじゃないかなぁ」と思ってしまった次第。いや、もちろん「たしかにそういう見方もあるなぁ」っていうのもあるにはあったんだけど。
ビューティフルドリーマーの影響、もしくはオマージュ、っていうのは、言われてみればそうかもなぁ、っていう気はしないでもなかった。
制作者でもなければ、今そこにある映像作品として楽しみたい口なので、そこいらへんは鑑賞者の解釈の差、あるいは感想として面白かったんだけど、学園紛争にまで発展させると、どうもなにかが違う居心地の悪さを感じてしまう。
学生がやってる運動だから、学生運動、っていう表記はいいとは思うけど、安保世代や遅れてきた世代なんかが体験した学園紛争を取り出されると、きみぃ、それはかなり違うゼ、っていう感覚になってしまうのだ。
資料として学園闘争なんかを読むと、頂点にいたメンバーの思想やら、暴力革命に至る流れ、トップ、もしくは指導的立場(オピニオンリーダーということばは使いたくないので)にいる連中の行動から説き起こされていることが多いような感じるんだけど、当時の皮膚感覚は、もっと末端の構成員の恐さ、時代性みたいなものをかぎわけていて、学園紛争にふみこむことがどういう顛末を想定しているか、っていうものが、あのマナビストレートなんかとはまったく違う次元だったように思えるからだ。
あ、まなびストレートが真剣味がないとか、表現として間違っているとかっていう意味ではないので、念のため。
イデオロギーの底なしの恐さ、っていう点では、むしろ今だとオ○ム真理教なんかに代表されるカルト宗教の方が近いものを感じてしまうんだけどなぁ。オ○ム自体も既に現在とは言えなくなってしまってはいるけど。
体験しているから違うのがわかる、なんていうじじいの繰言みたいなことを言うつもりはないし、体験してなくてももう少し丹念に資料を読んでいてくれたら、っていう思いはあるんだけど、学園紛争の時代的雰囲気って言うのは、思想闘争の面だけではなかったし、その切り口をメインに押し出されることのあやうさみたいなものも感じてほしいなぁ、とか少しばかり思った次第。
個人的には、アニメにあまり思想性は反映してほしくない、ってところ。別に思想性云々について書かれていたわけではないけどね。