火星の月の下で

日記がわり。

回顧・ネット以前

に○ゃん系まとめサイトを取り上げるのもちょっと気がひけるが、まぁ、日記なんでそこは軽く。
お前らって、インターネットが普及する前は、どういう生活してたの?・・・という記事。
50過ぎてると、ネット誕生以前なんて、ほんのつい最近て感じなんだが、20代くらいの人間にとっては面白い話題のようである。
最初の方に書かれてるように、パソコン通信、というのが普通でしょうな、ただしパソ通の時代はそんなに長くはなくて、いいとこ5年前後、長くても10年未満でしょう。
ヲタ的生活において、という前提で書くと、パソ通以前は同人誌かな。
今みたいな個人誌前提の同人誌ではなく、会員集めて会費をとって会誌を発行して、という流れの中にあった同人誌、同人活動である。
会誌といっても、作品を掲載した作品集としての会誌とは別に、興味のある漫画家やアニメーターについて会誌の中で意見を言ったり、ごくまれに企画として対談とかミーティングをやったりする、そんな瓦版的な会誌が並行して存在していた。中には瓦版しかない、なんてところもあったりして。。
年に何度かあるサークルの集会、それを楽しみにしていたり、とかそんな生活。
げんしけん』の生活と似ているが『げんしけん』と決定的に違うのは、居住地と趣味が統一されていないこと。
ここまでがだいたいコミケ時代。
コミケができてから、作品を発表する、という目的意識が明確になってきたので、作品集としての会誌、というものの地位が飛躍的に向上したし、「プロになる」という意識をわりと皆がなんらかの形で体感していた時代でもある。実際になる、なる意思がある、ない、に関わらず。
その前、となると、瓦版的な集会。学校とか、当時わりと同人活動に誌面をさいてくれてたCOM、キングやボーイズライフ、別マ、なんかの企画とか投書欄で仲間を募って、っていうアレである。
ちょうどその頃に似たような会話をやってた記憶があって「そういや、テレビがなかった頃ってオレ達何してた?」
「ひたすら画用紙に漫画描いてた」
「少年*1をボロボロになるまで読んでて、中綴じがはずれたときはひたすら模写」とか、そんな話題が、少し年長の人たち(つまり団塊くらいの人たち)の間で会話されてたような記憶がある。
もちろんテレビ受像機自体は終戦後すぐくらいからあったと思うけど、各家庭に入ってくるのはけっこう時間がかかったので、ここでいう「テレビがなかった頃」というのは、テレビが発明される前、商品化される前、という意味ではなく、自宅にテレビが来る前、という意味である。
こうして見ると、その時代その時代にそったヲタ生活は満喫していたような気はする。もちろん当時「ヲタク」なんて言葉はなかったが。
それと時間の短縮かなぁ。
いまだと仲間内で意見を交わしたり、今見た(あるいは見ている)アニメの作品をほぼリアルタイムでつっこみを入れながらチャットしたりしているのを、かつては郵便で感想とか身辺雑記をサークル本部に送って、それが会誌に載って、また意見なり感想なりが来て、ということで、最初のキャッチボールに数ヶ月かかっていた。
その時間が一気に短縮された、という感じである。
もちろん距離も短縮された。
日本は郵便事情が良かったので国内であればそんなに変わらなかったが、今は依然として言葉の壁はあるものの、国外とだってリアルタイムでチャットできるようになった。
この時間の短縮についてはまだまだ進むと思うけど、次のアクションはもう少し先だろう。
さて、原稿描かなくちゃ、(^_^)

*1:いわずと知れた光文社の月刊雑誌。『鉄腕アトム』と『鉄人28号』が連載されてたことで有名。私も休刊するまで読んでた。いつ頃からか。はちょっと記憶にないけど。