火星の月の下で

日記がわり。

忘れられたノーベル賞作家・・・カール・ギェレルプのことなど

寒いね・・・。
あまりなにもすることがおきない上に、先日書いた新型インフルエンザのこともあって、あまり外へ出てなにかする気も起きず、部屋で本を読んでた。
大昔、川端康成が受賞したときに主婦の友社から刊行された「ノーベル文学賞全集」というのがあるので、それをチマチマ読んでいた。
当然、川端以降の受賞者についてはないんだけど、現今ではほとんどこの全集でしか日本語では読めなくなっている(絶版とか高価格本とか、実際に出版履歴があっても物理的に読めないものは除く)作品なんかもあって面白いのだが、その中の2人。1917年に同時受賞したギェレルプとポントピダンなんかは、たぶんこの全集でしか読めないばかりか、本国でも忘れられて久しい作家らしい、と聞く。
日本での知名度は低いよなぁ。デンマーク文学専攻とか、そういう特殊な人は除いて、たぶん知らない人の方が圧倒的だと思う。
このうちギェレルプについては、後年、ナチの萌芽があったとか、ナチが推奨していたとかの関係で、いっそう禁書的な雰囲気になっていった、という経緯もあって、全集の解説の方にも少しばかし触れられている。
ただし、ギェレルプ自身は、1917年に受賞した後、1919年に亡くなっているので、ナチに関与した、なんてのは当然言いがかりで、ワグナーと同じく、死後その作品がナチに評価されたことでかえって災難となってしまった、という方が正しいと思う。
ついでに言うと、ポントピダンの方にもそういう批判はあって、こっちは1943年、88歳の長寿をまっとうしたので、関与していた可能性はあるかもしれないけど、作風から考えてそういう可能性はかなり低そうな感じがする。
さて、そのうちのギェレルプであるが、隣国ドイツに対して傾倒し、後半生をドイツで過ごした人だけあって、デンマーク本国でもドイツの作家みたいにとられているが、一応作品はデンマーク語で書かれてる。
表現主義の先がけとなるようなスタイルで、けっこう面白かったのだが、悲しいかな、翻訳が(たぶん入手できる形では)この全集のものしかないので、他にどういう作品を残していたのかよくわからない。
正直、もう少し読んでみたい作家ではあるが、デンマーク語の通販体制、ドイツ語訳の通販体制を見てもほとんどヒットしない。
忘れられた、というのは、単に日本人の耳になじみがないだけ、という場合も多く、たとえばビョルンソン(1903年受賞)なんかはノルウェーの国民詩人だし、ウンセット(1928年受賞)も北欧のフェミニズム文学を代表する作家としてその筋では非常に高く評価されている。もっとも、ウンセットについては、私はフェミ作家というより、濃密な歴史小説の人、という認識だけど。
フェミ関係で言うと、2004年のイェリネクなんかも、受賞するまで日本ではまったく、といっていいほどの無名ぶりだったけど、フェミ系ではけっこう名前を知られた作家だった。
この人も私の頭の中では、自我の相克を描いた人であって、フェミ1本、ていうイメージでもないんだけどなぁ。。。
というわけで、ギェレルプのものをもっと読みたい、と思ってしまった寒い日の夜でありました。