火星の月の下で

日記がわり。

ハイドンの弦楽四重奏

一般にウィーン古典派、というとき、ハイドンはどうも軽く見られがちで、天才モーツァルト、情熱のベートーヴェンの背後に隠れてしまうことが多いように感じるが、生涯を通じて、初期のごく一部を除き、非常に完成度の高い作品を残している。
大昔、といっても1960年代だが、バッハの音楽映画を日本に上陸させようとしたが、配給会社が、そこに描かれた人生があまりに地味なんで、結局やめてしまった、というニュースがあった。
バッハだとエピソードに乏しい、というのである。
そのつてでいくと、ハイドンもエピソードには乏しい方だろう、告別交響曲とか、奇跡交響曲とか、びっくりシンフォニーとか、まぁ、そういうエピソードならいくつかあるが。
作曲者のエピソードがなければ聞けない、というのははたして音楽を聴いているといえるのかどうか、と私などは思ってしまうわけで、同時代人ならまだしも、過去の音楽にエピソードなんて、成立事情程度がわかればどうでもいい、大事なのは音楽それ自体だ、と考えている。
で、ハイドン。もちろん兄のヨーゼフの方で、室内楽愛好家にとっては、まさに宝の山、といってもいい弦楽四重奏である。
私の幼年時代は、作品番号3番、有名な「セレナード」を含む6曲が、初期の代表作としてカウントされてたんだが、今日では偽作、ということがほぼ実証されてしまったようで、そうなると最初期の作品としては、「鳥」あたりまで待たないと、名作にはぶつからない。もっとも、全曲聞いたわけではないが。
ハイドンは音楽家の業績としてはモーツァルトに先行するが、長命だったため、後輩モーツァルトの死後も傑作を残している、というかモーツァルトの死後に傑作が多い。
その中でも、作品番号76の6曲は実に完成度の高い作品そろいで、現在のドイツ国歌になったことでも有名な『皇帝』なんかも、この作品番号76の第3曲(通し番号77番)ハ長調の第2楽章だったりする。
第1曲(75番)ト長調.
第2曲(76番)ニ短調「五度」.
第3曲(77番)ハ長調「皇帝」.
第4曲(78番)変ロ長調「日の出」.
第5曲(79番)ニ長調.
第6曲(80番)変ホ長調.
この中でも、第4曲の変ロ長調「日の出」と、第5曲ニ長調は特に好きで、4つの和声と、その上に展開するメロディ、音楽性として、弦楽四重奏のほぼ完成形、といっていい姿がある。
変ロ長調「日の出」の、第1楽章冒頭。
「日の出」という名前の由来になった上昇音階で始まるのだが、なんという和声の美しさ、なんという凝集力だろう。
ベートーヴェンのような情熱が集中する凝集でもなければ、シューマンブラームスのような狂気の凝集でもない、和声の凝集。音楽の至福がそこにある。
第5曲ニ長調のリズミックな旋律線と、躍動感、たった4本の楽器でここまでできるのか、と思えるほどの動きと調和、響き。弦楽四重奏のすばらしさ、楽しさ、豊かさを歌ってくれているようだ。
ハイドンのこの作品番号76でもって、弦楽四重奏はほぼ完成した。
ベートーヴェンは、その完成したものをいったん破壊してから再創造へとむかったし、シューマンブラームスドヴォルザークは、この両者の延長の上に弦楽四重奏の音楽を紡いでいった。
現在いくつかの「全集」が4桁の値段ででている。
全曲の録音すらなかった少年時代のことを思うと夢のようで、いつか通しで聞いてみたいと思っているのだけど、はてさて、いつのことになるやら。
ブッフベルガーSQのものは、かなり心ひかれているんだけどなぁ・・・。