火星の月の下で

日記がわり。

ホフマンの『女吸血鬼』

昨日書いたとおり、原初の姿の吸血鬼が昨今忘れられつつあるようなので、ホフマンの『女吸血鬼*1』に見られる、原初の死啖鬼の姿、およびその転換点を回顧しておく。

父の遺産を相続したヒッポリト伯の居城に、亡き父が嫌悪していた老男爵夫人が訪ねてくる。
その不快さを最初嫌悪していた伯爵だったが、彼女の娘アウレーリエの美しさを見て、この母娘に城での滞在を許す。
男爵夫人の不気味さにおびえながらも、アウレーリエの美しさと、乙女らしさにひかれる伯爵はアウレーリエに求婚、だがしばらくして、墓地へと続く夜の庭園で男爵夫人の死体が発見される。
アウレーリエによって、母娘の身に起こったこれまでの不幸が語られる。
この母娘の影には、死刑執行人の息子「見知らぬ人」という犯罪者の黒い影があった。
伯爵夫人となったアウレーリエだが、しばらくすると、奇行がめだつようになる。
まず肉を食わなくなり、やがていっさいの食べ物を受け付けなくなる。蒼白になり、夜な夜な館を抜け出しているらしいことを知って、伯爵はある夜、アウレーリエによって盛られていた睡眠薬入りの茶を飲まずに寝たふりをして、その後をつけると、アウレーリエは墓地に来て、死体の肉を食っていたのだ。そしてそこには死んだはずの男爵夫人の姿もあった。

物語は解決されることもなく、伯爵の狂気で突然終わる。
この作品はゲーテのバラッド『コリントの花嫁』よりも成立が後だが、『コリントの花嫁』では暗示にとどまっていた死啖鬼の姿が明確に描かれている。
いかにも怪物然とした不気味で嫌悪感をおこさせる老男爵夫人が不死の吸血鬼で、しかも伯爵の領地で伯爵とまみえたときに既に、石像のように硬直してしまう発作を見せ、人にあらざる物という感覚を読者にすりこむ。
やがてその埋葬の後、アウレーリエによって過去が語られるのだけれど、その不思議な出生、語られることのほとんどない、謎の父らしき人物の存在が現れる。
氷のように冷たい唇を持つ、この優しい、砂糖菓子を食べさせてくれる父が、アウレーリエを生んだ吸血鬼であったのだろう。
やがて、母と名乗る人物が現れ、16歳になると、その母の背後に犯罪者の「見知らぬ男」が現れる。
男がアウレーリエに操を求め、母がその手引きをするが、やがてその男は警吏によってとらわれ、彼女は母ともに旅に出て、そして伯爵の居城に来たのだった。
優しき父、おそらくは高位の吸血鬼であったろう父への思慕。
そして母を憎むべき恐ろしいモノとして語る娘。
この過去の話はアウレーリエによって語られるので、どこまで真実なのかわからない。ひょっとすると、アウレーリエ自身の作り話だったのかもしれない。
だが、吸血鬼としての、なにか強く大きな存在は間違いなくあったのだろう。
そして「見知らぬ男」は、犯罪者ではあったかも知れないが、実は男爵夫人の犠牲者だったのかも知れない。
死体を啖う吸血鬼としての姿もさることながら、父に性的な焦がれを抱き、母に不浄感に満ちた嫌悪の目を見せるアウレーリエの姿は、エレクトラ・コンプレックスを示しているのかもしれない。
ほんの数行登場するだけの父らしき人物に、永遠の姿が読み取れるかもしれないが、まだ吸血鬼には美の永遠を暗示するものはなく、穢れた死人であり、死体を啖う醜悪なもの、怖気を催させるもの、としての姿が満ち溢れている。
だが、死啖鬼は老女の母だけではなく、美しい娘の姿をとっても現れるのだ。
伯爵夫人となってから、食用の肉を食わなくなる、日に日に死体のように蒼白になっていく、母と同じような、硬直してしまう症状が見え始める、という傾向がアウレーリエにも現れ、やがて夫である伯爵に睡眠薬を飲ませ、墓地へ死体を啖いにいくようになる。そして伯爵の目撃。
だが、物語はここで、それが伯爵の幻夢である可能性も示唆しており、現実と幻想が渾然としてくるのだ。
結局伯爵も妻を殺して狂気に落ちるので、伯爵の狂気妄想だった可能性もある、という余韻を残してくれる、なかなかすぐれた掌編になっている。
Winklerの全集本で、わずか10数ページの作品だが、19世紀初頭くらいまでの吸血鬼伝承の姿を扱いながら、常に狂気と幻想にむかいあっていたホフマンらしさが、いたるところに見て取れる。
しかしここでは、そのホフマン文学の本質を読み取る方向ではなく、描かれた吸血鬼の姿を今一度注目しておく。
自動人形のような、不浄さを見せつつも無機質な機械仕掛けの人形のようでもあった、醜怪な老男爵夫人。
その絶命までの様子、そしてその過去から、まさにこれが「歩き回る死体」原初の吸血鬼により近いものであることは容易に見て取れる。
だが、甘美で優しげな美少女アウレーリエもまた吸血鬼であった。
その証拠が死体を「狼のように」むさぼり喰うところにあったわけだが、吸血鬼は、まず死体であり、他の死体を啖うところにあった、というのがかなり明瞭に描かれている。ヴァムピリスムというのは、吸血行為だけを表すものではなかったのだ。
同時にそこに、死体の不衛生さ、不浄さ、穢れだけではなく、その対極の存在として絶世の美少女を配置し、その垣根を取り払ってしまっていることにも注目できよう。
さらに後年、レ・ファニュの『カーミラ』によって、この美少女吸血鬼のスタイルが確立するが、その前段階としての、本作の価値はかなり重要だと思う。
アウレーリエの優しげで少女らしいたおやかさ、美しさなどが伯爵の目に映るが、過去において、アウレーリエは既に「見知らぬ男」に操を散らされていたのではないか、そしてそれが伯爵の狂気の原因となったのではないか、という、現実的な暗示も残されているので、ひょっとしたらこれは、伯爵の側の「吸血鬼」かもしれない。
ともかくいろんな要素がゴッタ煮的につまってはいるものの、やはり美少女吸血鬼としてのアウレーリエの姿が、吸血鬼文学の歴史の上で、重要な役割を担っていてることは認めてもいいと思う。

*1:邦訳題名が「吸血鬼の女」となっているものもある。原題はVampirismusで、『ゼラーピオン同盟員集』第4巻で、ツィープリアンによって語られる物語。