火星の月の下で

日記がわり。

◇好きな繁華街

『デュラララ』で池袋がかなり好意的に取り上げられているのを見て、ああ、私の知ってる池袋があるなぁ、といった場面や、最近の池袋はこんなになってしまったのかなぁ、といった場面なんかがチラチラでてきて、そっち方面でも面白い。
以前にも書いたかもしれんけど、東京にいた頃、一番よくでていった繁華街は、まず神田神保町、ついで池袋だった。神田神保町を繁華街といっていいかどうかは、ひとまずおくとして。(^_^;
最近は支那人がコロニーを作っているらしく、あんまり嬉しくないような町になってしまったようだったし、池袋によく出てた、といっても、ほとんど文芸座ばっかりだったので、当時としてもそれほど知ってたわけでもなかったろうと思うけど、ここでけっこう時間をつぶしていたこともあって、そこそこの郷愁はある。
好きな繁華街となると、その人が十代をどこですごしていたか、ということがけっこう大きな要素になると思うので、客観的な評価はたとえどんなにデータや数字を見せ付けられてもなかかできないし、またする必要もないとは思うけど、ここは日記なので、個人的に好きな繁華街とか、思い出の繁華街なんかも書いておこう。
神戸元町
三宮とは指呼の距離だが、ここはいろんなものがあった。
映画、古書、舶来品、日本語の通じない船員用バー、洋風の雑貨屋、おいしいパン屋、ケーキ屋、音楽喫茶、ライブハウス、等々。
映画館をはじめ、もうなくなってしまったり縮小してしまったものも多いが、そこにいけばなにかがある、といった雑多な期待を常に抱かせてくれる町で、現在の私の嗜好性の大半は、この昭和30年代の神戸元町で培われたといっていい。
・神戸三宮。
元町が光と闇、両方を内包していたのに対して、三宮と梅田は光の側面だった。
それゆえ若い頃特有の闇を求める嗅覚からはちょっとはずれているなぁ、と感じることも多かったけど、ある程度の年齢がいくと、無性に懐かしくなる町。
だが、ここも例の震災で、好きだったところが根こそぎやられてしまった。
大好きだった古書の後藤書店なんかはまだあるのだろうか。
ジャンジャン横丁
神戸文化圏を離れて、最初に「異質の文化圏」を感じさせてくれた場所。
衛生的にどうかと思える飲食店や、道行く人、路上の人が動物園の中の一風景に見えてしまう異様さは、今もそんなに変わらない。
覚えていることを率直に書くとまずすぎるので、具体的には書けないけど、おそらく日本最強の繁華街だろうと思う。(^_^;
ついでに言うと、昭和50年代くらいまでの日本橋の怪しさも、ここからの空気が流れてきていた結果だと思う。
・吉祥寺。
今では住みたい町、住んでよかった町として、東京近郊の庶民から評価の高い町だが、近鉄百貨店が進出してきた頃、伊勢丹がまだ来る前の、西友くらいしかなかった頃を知っている身としては、隔世の感に近いくらいのギャップを感じる。
昭和末期から平成初期くらいまでの吉祥寺は西友の果てにちっちゃな神社や寺なんかとともに田圃が広がっていたりして、適度な田舎、適度な都会、というところが良かったんだけどなぁ・・・。
今の吉祥寺も、近くに親戚が住んでる関係でときどき行くので、情報ギャップはそれほどないけど、昔の方が良かったなぁ・・・。
もっと書きたい、と思って書き始めたけど、現在の姿を知らないところか多いことに、書いていて気づいた。(笑)
機会があれば続きを書きたいが・・・たぶん無理かな。
書き出す前に頭の中にあったのは、阪神尼崎駅前、布施、天満駅前、池袋、蒲田、福岡天神、名古屋大須、といったあたりだったんだか・・・。