火星の月の下で

日記がわり。

ジャクリーヌと日本人

会場での暇つぶし+往復の新幹線で読んだもの。
ラノベ、児童文学なんかもいくつか持ち込んだけど、一番面白かったのがこれ。
『ジャクリーヌと日本人』ヤーコブ作、相良守峯訳、岩波文庫
小説そのものの魅力というより、扱っている素材、時代がつっこみどころ満載で面白く、加えて作中のモデルだったらしいといわれる、あの成瀬無極氏の解説がこれまたすばらしくて、大正〜昭和戦前戦中期の日独文化についてある程度の知識のある人なら、すごい名前がどんどんでてくるのだ。
成瀬無極という人は日本における近代独文研究黎明期の重要人物であるが、既に何度も取り上げたとおり、シュトルムウントドラングを「疾風怒涛時代」と訳し、18世紀後半から19世紀にかけての近代ドイツ文学の紹介、研究に多大な功績のあった人物。
しかも彼は、東京生まれの東京育ち、東京帝大独文科卒ではあったが、開校間もない頃の京都帝大独文科に就任し、京大独文の礎を築いた人物としても知られる。
本書の訳者・相良守峯東大教授、これに演劇の新関、文学の木村を含めて東大独文の3傑といわれるが、成瀬氏は彼らに先行し、東の3傑、西の成瀬、という時代を作った学者でもある。
その解説の中にでてくる名前として、ドイツからはデープリーン、在独の日本人研究者として、上述の木村、実吉捷郎や、巌谷小波といった名前まで出てくる。
これ以外にもいろいろな名前が、参照材料としてではなく、同席し、近くにいた同時代人として語られる面白さ。
もちろん、小説素材の面白さも言うまでもなく、舞台は1923年のドイツ、第一次大戦後の大恐慌時代まっさかりのときである。
楽家の「わたし」は、経済的理由から、日本人学者のナカムラを間借りさせているが、最初は複雑な気分で、妻で女優のジャクリーヌが日本人たちに入れあげていくのが面白くなく、ナカムラの部屋からコニャックをくすねてきて飲んだりしている。
だが、やがてナカムラの「苦悩」を受け入れる態度を見て、そこに芸術的香気をかぎとり、少しずつ態度が軟化していく。
そして舞台をベルリンからハイデルベルクへ移して、「わたし」とジャクリーヌ(作中では途中から愛称のジェックヒェンに変わる)を歓待してもらう。
ところが、紳士のようにふるまっていたナカムラら日本人達だったが、実はこの5時間前、祖国が大地震に見舞われ、ナカムラやその友人の学者たちの家族も生死不明であった、ということを知るにおよび、「わたし」もジャクリーヌも驚愕する。
物語はナカムラの突然の帰国で幕をおろす、というやや中途半端なしめくくりとなるが、1920年代のドイツ人の音楽趣味、演劇趣味なんかがいたるところにあらわれている。
そしておそらく一読して最大のつっこみどころは、大地震に対する描写であろう。

大ジシンが来たのだった。(中略)
この国の中心たるトーキョー、ヨコハマ、オーサカは破壊され、それ等の間の三十都市は根こそぎ打ち砕かれた。岸辺には海瀟が押し寄せて船底をもちあげ、それを寺院の屋根へたたきつけた。
この国は−五穀みのり、豊穣にして人口富めるこの土地は−ただ火山から造り成されて居るのだ。処がいま百の休火山が、その怒れる神々の肺臓から全土の上へ新しい火をば血潮のごとくに吐き出したのだ。

ううむ、小説に登場する日本の「ジシン」・・・関東大震災だと思っていたら、大阪も壊滅してしまったようです。(^_^;
その間の三十都市と書いてるから、浜松、名古屋、京都、奈良、なんかも壊滅してしまったんでしょうなぁ、寺院も被害にあった描写ですし。
しかも火山まで爆発してたのか・・・富士山とかが爆発したイメージだったのかな。
さらに、

神聖なる島エノシマには幸福の女神ベンテンの堂があった。幾千もの避難民の列が泣き叫びながらその堂まで達したとき、海が堂も島も諸共に引っ浚って行った。
ボニンやカゴシマも沈んだ。
サンヤ、フカガワ、アサクサ、シタマチの町々も影を没した。ナカムラの郷里である古いアタミもまた根底から破壊されてしまった。

江の島の弁財天まで知ってるくせに「シタマチ」を固有名詞みたいに使ってるところとか、唐突に鹿児島が出てくるところとか、よくわかりません。(笑)
カゴシマは位置関係から見て、なにか別の地名の誤記かな、という気もするけど、大阪まで被災したことになってるから、案外南の端まで被害にあった、という意味で使ってるのかも。
それと「ボニン」って何だ?(^_^;
江の島は、少しだけ調べてみると、元来引き潮のときのみつながる島だったのが、震災のときに一部隆起して地続きになったそうなので、ここでの描写とは逆ですな。
「わたし」はナカムラの心境を思って、こんなニュウスから目をそむけたいのに、地方都市に居ても新聞が目に入ってしまう、という描写もあるので、細部の肉付けは作家の想像力だったろうが、全体像は概ねこんな風に報道されてたのかな、という気もする。
ヤーコブという、日本では今ではすっかり忘れ去られた作家だが、ドイツのWikiにはけっこう詳細な記事があるようである。
ただ、読んでみると、作家としてよりも、その後の運命、ナチの台頭によって米国への亡命を余儀なくされ、当地での文士としての活動の方が重要なようではあるが。
ともかく、大恐慌時代と、関東震災の時代を、ドイツ人の作家が結びつけてくれていた、というのが、すこぶる面白かった。
物語性としては、かなり尻切れトンボではあるけどね。