火星の月の下で

日記がわり。

米長邦夫永世棋聖、死去

米長邦雄永世棋聖が死去 69歳 7度目の挑戦で最年長49歳名人

昭和31年、佐瀬勇次名誉九段門下で6級で奨励会入会。
38年にプロ四段。48年、第22期棋聖戦で初タイトルの棋聖を獲得した。
59年に十段(竜王の前身)を獲得して棋聖・王将・棋王と合わせて4冠に。
60年の第45期棋聖戦棋聖通算5期となり、永世棋聖の資格を獲得(通算では7期)。
現役だった平成10年から永世棋聖を名乗った。
名人戦では平成5年の第51期で、17年越し7度目の挑戦で初めて悲願を達成。
しかし、翌第52期でA級1年目の羽生善治現3冠(42)に2勝4敗で奪取され、名人は1期に終わった。
生涯成績は通算1103勝800敗で歴代7位。
タイトル戦登場48回、獲得は歴代5位の通算19期。

今飛び込んできたニュウス、ショック。
これほどの大棋士の訃報を将棋タグに入れたものかどうか、少し悩んだが、決して軽んじているつもりはないので、このタグに入れておく。
奇しくも生涯の仇敵として戦っていた大山十五世と同じ年齢での逝去だが、まだ現役でがんばっている内藤九段、加藤九段より若いんだよなぁ。癌ならしかたない側面もあるが、残念なことである。
将棋連盟会長としての活動は、いろいろ批判もあったけど、この不況の時代、なんとか乗り切ろうとがんばっていた姿は万人の認めるところだったし、今後これほどの人物の後を誰が務められるのか、という不安もある。
現役時代は頑固なまでの矢倉党で「矢倉は将棋の純文学」なんてことばもあった。
中原十六世との名人戦での死闘なんかも印象深く、名人戦に残る中原の妙手、37期名人戦第4局でさされた5七銀も、相手は米長だった。
その好敵手中原との通算対局数は現時点で歴代1位。
正直なところ、現役時代はあんまり好きな棋士ではなかったのだが、その強さに関しては認めざるをえないところもあって、名人戦登場回数や、永世棋聖称号もさることながら、生き残りがタイトル奪取よりも難しいと言われた十段戦リーグで最後まで陥落しなかった唯一の人、なんていうあたりも「強いなぁ」と何度も思わせてくれた。
大山名人のときも同様に感じたが、棋士として69歳での死去というのは、早すぎる。癌というのは実に無情なものだ。
どうか安らかに。合掌。