火星の月の下で

日記がわり。

なぜSNSに常駐している古書店に左巻きが多いのか

「なぜ多いのか」・・・と言ってもここで考察するつもりはみじんもなくて、最近の感想である。
もちろん極端な右向きもそれなりにいるけど、体感としては左巻きの方が多い印象。
扱ってるものに社会科学系の古書(特に昭和30年代から40年代)が多くなると、そういう考えになってしまうのか、それとも単に世代というか年齢の問題なのか。
よくわからんけど、ふだんはけっこうおもしろいネタをつぶやいていたり、有益な情報を流していたりするのに、突然なんかの発作みたいに「アベノセイダース」になってしまったりするのを、ちょくちょく目撃する。
それでもその投稿がそれなりに面白かったりウィットに富んでいたりするのならまだしも、そういうときに限ってナマの感情がむき出しになってて「おいおい」な気持ちになってしまうのだ。
あるいは直接にはほとんど言わないけど、古書関係なく、明らかにキ〇〇イが「アベノセイダース」と叫んでいるツイートにばっかりリツイートしまくっていたりする人もいて、そういうのにぶつかってしまうと頭が痛い。
そういうこともあるので、SNS(ついったに限らず)の閲覧でフォローしちゃうのは危険なんだよなぁ・・・以前にも書いたけど、SNSではほとんどフォローせずブクマしたままなのだ。
思想の自由ってのもわかるし、それについてとやかく言うつもりもなければ言うべきでもないんだろうけど、「個人」としてではなく「〇〇古書」として発言しているときは、あんまりそういう政治的、思想的発言はしないでほしいものでありますな。
ちなみに、そういう人たちは自分が「左巻きだ」という意識がほとんどないことも普通なのだ。