火星の月の下で

日記がわり。

知らない世代の評価

手塚治虫漫画全集読んでるが駄作も沢山あるんだな 」
(p://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5552780.html)
あれだけの数を描いたんだから、そりゃ駄作、というとちょっとアレだけど、好みから大きくはずれる作品も相当あることでしょう。
しかし、自分が生まれる前の過去の作品に触れて、それを今と比べて評価するのはどうなんかね。
漫画という性格上、時代性に関わらずエンタメとして消費されてしまうのは仕方ないのだけど。
少なくとも、今日のサブカル文化の大部分が大手塚の存在なくしては語られないし、
「もし手塚がいなくても、どうせ誰かが出てきて今みたいな状況になった」とかっていうのがまずありえない。
それくらい、1950年代から60年代にかけての存在と影響、深さはすごかったわけだ。
単に最初『新宝島』で文化史のターニングポイントを作っただけだったらここまでにはなっていない。
過去資料を読むときは、その同時代がどうであったのか、に目を向ける必要があるけど、どうもエンタメ作品はそのあたりがおろそかになってしまう。
特に、

全くの無能とは思わないけど横山、石ノ森と比べたらワンランク落ちる

こんなこと言ってるバカは、もし大手塚がいなかったらその二人も出てこなかった、ということを考えていないようだ。
石森なんかはっきり「(手塚を読まなかったら)映画監督か小説家になってた」ってインタヴューで言ってるしね。
私個人としては、好きな順番でいうと、
横山光輝>(水木しげる)>手塚治虫>>石森章太郎>>>
・・・っていう順番になるだろうけど、それは好みの問題であって、作品の持つ意味としてはもう他の誰とも比較にならない。

でもま、評価ではなく、エンタメとしての消費なら、時代によって移り変わっていくのも仕方ないのかなぁ、とかなり寂しい気持ちにはなってくるな。