火星の月の下で

日記がわり。

ブレヒトのジャンヌ・ダルク三部作

ブレヒトジャンヌ・ダルク劇三部作を、制作順に読んでいくと、どんどん史的ジャンヌに近づいていくのが面白い。

・屠殺場の聖ヨハンナ(1930)
これは作中にジャンヌの独逸語名「ヨハンナ」が登場するだけで、ほとんど何の関係もない話。
謁見の場のパロディがあるくらいで、他は皆労働者と資本家の話。

シモーヌ・マシャールの幻覚(1942)
ナチスドイツの進撃の前に敗走を続けるフランスの片田舎の旅館で、少女シモーヌがジャンヌの夢を見る話。
作者の対ナチ感を前面に押し出すための小道具としてのジャンヌ・ダルクで『屠殺場』よりは題材に接近している。

ルーアンジャンヌ・ダルク裁判1431(1952)
そしてついに史的ジャンヌそのものに切り込んでいったのが、晩年のこの作品。
とはいっても共産主義作家であり、叙事的演劇論の提唱者であるブレヒトのことであるから、歴史的ジャンヌ・ダルク劇とはいいがたい。

ブレヒトの代表作というと『ムッター・クラーシェ(肝っ玉おっ母あ)』『ガリレオの生涯』がまず上がるだろうし、映画好きなら『三文オペラ』の方に指を折るだろう。
ジャンヌ劇としては、第一作である『屠殺場の聖ヨハンナ』はかなりよく上演される方だと思うけど、あとの二作はそれほど有名ではない。
もっとも日本語の「屠殺場」という表現にいろいろと問題があるらしく、最近は『食肉市場の聖ヨハンナ』とされるようだけど。

初期の2作を除いて、多くが共産主義演劇であるブレヒト劇はそれほど好きなわけではなく、面白みが微塵もなくただただ退屈なので、詩的センスはあんましねーなー、と思ってたりもするんだが、叙事的演劇が目の仇にした劇的演劇そのものみたいな素材である史的ジャンヌにどんどんひきこまれていってるようで、そのあたりは少し面白かったりする。
あと、かつて渡辺美佐子が紹介していたエピソード、
「ほんとうにブレヒトの作品を役に同化せずに演じているか」という質問に対して、ベルリーナー・アンサンブルの俳優たちの答えは、あいまいであった。
・・・というやつは実に興味深いもので、ブレヒトは一流の文学理論家ではあったけど、芸術的センスはなかったんだな、というのがなんとなくわかってくるとこでもある。