火星の月の下で

日記がわり。

リチャード三世は醜くかった

うちの地域では日曜深夜にやっている『薔薇王の葬列』これがけっこう面白い。
英国のバラ戦争をモティーフにしていると言うが、沙翁の『ヘンリー六世』三部作、『リチャード三世』も下敷きにしているという。
この四作を読み、あるいは舞台で見た経験がある者だと、この複雑な人間関係や、舞台背景、そしてアニメ(正確には漫画原作)がどう手を入れ、どうオリジナル設定を入れているか、なんかが容易にわかるつくりになって、つっこみの楽しさなんかが充溢している。
元より史実を描くのが目的ではないだろうし、沙翁の歴史劇を再現することも目的ではないのだろう、あくまで材料の一つ。
そういうのがちゃんとわかった目で見ると、つっこむことの楽しさが、実に快適である。

まず、魔女の存在。
この四部作における魔女と言うと、当時のイングランド人の目に映った「魔女ジャンヌ・ダルク(劇中では、ラ・プーセル)」が憎むべき敵として描かれている『ヘンリー六世・第一部』があまりに有名だけど、実は第二部、第三部、と読んでいくと、この四部作最大の魔女はフランスから来た王妃マーガレットだ、というのがわかる。
その伝統を実にわかりやすく描いてくれているのだ。
バラ戦争最大の魔女、マーガレット。(ヘンリー六世・妃)
これは史実というより、沙翁の四部作でもって広くイングランド民に伝わったことである。
それを実にうまく映像化しているようだ。

一方、『リチャード三世』の「悪の主人公」であるリチャード。
彼は沙翁の劇でも、史実としても、そうとう醜かったことがよく知られている。
現代になって、リチャードの墓が発見され、そこに埋葬されていた人物(ほぼリチャード三世と同定されている)の骨格が、伝説にあるように湾曲していたことが確認されている。
『リチャード三世』冒頭において、リチャードが自身の醜さについて、鬱屈した感情をぶちまけ、あげくに
「俺は悪党になるぞ」
「この世の一切を憎んでやる」
と宣言する場面はあまりに有名で、沙翁全戯曲の中でも、マクベス、イアーゴーとともに傑出した悪役像となっている。
ところがアニメのリチャードは、そういった醜さからはほど遠い、内向的な美形として描かれている。
顔が醜く、背骨が曲がっている、なんてヴィジュアルだと物語の中心人物にはしづらい、という事情があるので仕方ないなぁ、と思う反面、醜さがリチャードの特性であるだから、少し残念ではある。
そしてさらに、物語上でのギミックとして「実はリチャードは両性具有」というひねりも入れている。
これはちょっといただけんなぁ、という感覚もあるのだけど、そのあたりも含めて全てわかった上でやっていると思われるので、今後が楽しみである。

それにしても『ヘンリー六世』におけるリチャード(特に第三部)と『リチャード三世』のリチャードって、まるで別人みたいに違うんだけど、本作では『リチャード三世』の方に近いのかな。