火星の月の下で

日記がわり。

岩波文庫版『マクロプロスの処方箋』

岩波文庫からチャペックの初期の戯曲『マクロプロスの処方箋』が出ていたのを書店で見つけて購入。
なんでも昨年の夏に出ていたようだ。
この劇はかなり早い段階で邦訳され、戦前の近代劇全集にも既に訳されていた。
もっともこのあたりはドイツ語からの重訳だった可能性が高いが(今、手元にないので確認できず)恐らく戦後何度か単行本として出たものは、原語であるチェコ語からの翻訳であろう。
帰宅後、サッと目を通して見たが、一気に読めた。すこぶる読みやすい。
昔、近代劇全集を古書で購入し既読だった、落ちを知っていた、というのもあるけど、それにしても快適な訳である。

さて、この劇、どうもSFとして扱われることが多いのだが、「そうかあ?」という気持ちがいつもある。
チャペック初期の戯曲4本、つまり『盗賊』『RUR(ロボット)』『虫の生活から』、そして本作と、表現主義の晩期にあたっていることもあって、幻想文学としての色が濃い。
昔読んだときもそういう感覚で読んでいたので、これをSFと言われると、かなりひっかかってしまう。
まあ、SFの語義というか範囲は広いので「広義のSF」とならいえるのかもしれないが。

全3幕の後、実質第4幕にあたる「変身」と題された幕があり、そこで秘術により300年生きた女エミリアが、かつて魔術皇帝ルドルフ二世の専属医師だった父によって施された「300年生きながらえる秘術」の遺言書を見せる。
そしてそれを見て死生観を語る登場人物たち。
そしてその中で一番若い少女クリスティナによって、まったく違う感覚が述べられる。
不老不死というギミック以上に、そんなに長く生きてどうするのか、というテーマの方が深く沈み込んでくる。
その意味において、表現主義的だ。

ただ不老不死へとつながるハンドルングは緊迫感に満ちているし、少しずつその女エミリアの正体が暴かれていくプロセスは動きがあって面白い。
半世紀ぶりくらいに読んで、あらためて良い劇だと感じた次第である。