火星の月の下で

日記がわり。

名人の亡霊

ヒカルの碁がまだ放映されてた頃、もし将棋の強者の亡霊が取りついてくれるなら、誰がいいかなぁ、と妄想していたことがあった。
ただ、将棋と囲碁とでは、終盤の性格がかなり違うので、ヒカルの碁であったような、過去の名手が取りついたからといって、あんなに劇的には勝てないだろう、という結論になって、あくまで妄想の中でだけの遊びになってしまった。
ただ、ヒカルの碁ででも、亡霊・佐為は、現代の囲碁と出あって、修正し、向上していくシーンがあったので、そういうことをコミならば、あるいは現代でも通用する憑依かもしれない、とか思ってしまったけだ。
もとより、前提がありえない空想なのだけど、こういう妄想前提の更なる妄想というのは、なかなか楽しいものだ。
よく言われることだが、将棋の技術革新は、初代宗桂が現れて棋譜が存在するようになってから進歩し続けているので、過去の名手が今いきなり出てきたからと言って、まず勝てない。勝てないどころか、奨励会すら突破できないと思う。
しかし、復活した藤原佐為のように、現代の戦法や定跡を学習、吸収し、元あった才能に、あらたな光が差してくるような展開だと、ひょっとするかもなぁ、と考えてしまった次第。
一応、棋戦においても、竜王戦王座戦を始め、アマチュアの強者が参加できる棋戦はあるにはある。
現実的には、そこに到達するのが精一杯で、たとえロートルのフリクラ棋士であっても、アマチュアのトップレベルなみの力はあるわけなので、そういう仮定でもなければ、アマチュアがプロの棋戦に出てタイトルをとる、なんてのは、まずありえないことだが、過去の名手に憑いてもらってそういう場に出て行く、と考えるのは、楽しいものだ。
で、ここからが本論。
憑いてもらうなら誰がいいだろうか、ということ。
最初にこの妄想に取り付かれたときは、漠然と「やっぱし看寿かなぁ」と思っていた。
江戸の将棋処の天才であり、名人の名を継ぐことを期待されながら、夭折して継げなかったこと、残された詰将棋から光こぼるるくらいに輝きでる才能、こういったところが、看寿にひかれるところであるが、この前提だと割といい線いっているんじゃないか、と思う。
ただ、江戸期の人物となると、たぶん現代将棋の枠の中にもってくると、よしんば成長があったとしても、ちょっと無理かもなぁ、という気も少ししてしまうところだ。そういうわけで、七世名人三代宗看、石田検校、天野宗歩、あたりも、憑いてくれたら面白そうではあるんだけど、パス。
過去の名棋士は数多くいるけど、現代将棋の研究を考えると、史上最強は、羽生、佐藤(康)、森内あたりに落ち着くと思う。まぁ、実際の感覚というか、業績、そして、たぶん同じ条件で競ったら、という仮定を持ち込むのなら、大山、升田、木村十四世、塚田、の順かなぁ、という気がしなくもないけど。
ただ、ここは実際の強さを想定するわけではないので、夭折して死んだ天才の亡霊、っていう、甚だ熱病的な夢想もあるので、やはりそういった点も考慮に入れてみたいわけだ。
その線でいくと、現代将棋の流れの中で思い浮かぶ棋士が二人。山田道美と村山聖である。
ただ、山田八段は、どっちかっていうと、研究肌な感じがあったので、天才肌がギラギラ感じられる村山聖あたりだと、案外ホントに憑依してもらったら竜王くらい取れちゃいそうな気分になる。(笑)
というわけで、結論としては、看寿(ロマン重視)か村山(実力重視)ってことになりそうである。・・・しかし、あの村山が生きてたら、今の棋界はどうなっていただろうなぁ、という思いも同時に甦ってきてしまいますのぅ。