火星の月の下で

日記がわり。

ライムントの妖精劇(一)

正嫡のドイツ語文学史、あるいは独墺文学史では、19世紀前半のウィーン演劇は、巨人グリルパルツァーが現れ、その後浪漫主義からリアリズムへの橋渡しをするネストロイが大きく取り扱われ、われらが妖精演劇のフェルディナント・ライムントは、ネストロイの前座、もしくは北方のドイツにおける、イフラントやコッツェブーのように、大衆人気はあったけれど、まともな文学としてはあまり扱ってもらえないようなところがあった。
しかし、ドイツ語演劇における、妖精演劇、魔法演劇の流れの中で、疾風怒涛時代の運命劇から、世紀転換期の夢幻芝居のちょうど中間で、異彩を放ち、そして今日においても、ウィーンの音楽喜劇の重要なレパートリーとなっているライムントの妖精演劇は、決して軽んじられてはいけないと思う。
ライムントは1790年の生まれ、翌91年にはグリルパルツァーが、そして10年後には、ライムント晩年のライバルとなったネストロイが生まれている。
北方に疾風怒涛のプレロマン派の嵐が吹き荒れ、ハイデルベルクからベルリンへと移った都市型のドイツ浪漫主義がそろそろ下火になって、仏、露、伊、北欧へと伝播し始めた頃、ウィーンの演劇界にまず俳優として、そしてしばらくして座付作者として登場する。
適宜改変し、あるいは当時の高名な大衆作家からの献呈、翻案を含めると、その作品は、数十にのぼるといわれるが、純然たるオリジナル台本は8篇である。*1
そしてその中で『妖精界から来た娘』『アルプス王と人間嫌い』『浪費家』の3篇が妖精喜劇の最高傑作であると同時に、ランムントの名を演劇史に残すことになる。
常々、ライムントの妖精演劇を、幻想文学の枠の中で考えたいと思っていたので、この名作3篇を中心に、19世紀ウィーンで人気を勝ち得た、ライムントの魔法芝居、妖精喜劇について、感じるところを記録しておこうと思う。
なお、あたりまえの話ではあるが、私は、ブログは単なる感想だと思っている。(プロの物書きとかその予備軍は別にして)
従って、なにかの論をなす目的でもなければ、発信することを目的としているわけでもない、単なる個人的な覚書である。
将来ここに書きなぐったものをHP上で再編成する可能性もなくもないけれど、書いてる時点では単なる個人的な感想にすぎない、ということを念のため、付記しておく。

*1:最初の2篇は厳密に言うと種本があるし、ライムント自身が「オリジナル」の名を冠したのは、第3作『妖精界からきた娘』以降なので、さらに厳密に言うと、6篇という言い方もできるかもしれないが、最初の2篇『晴雨計職人』と『精霊王のダイアモンド』も、種本があると言っても、ほぼライムントの独創といっていいほどに改変がなされているので、通例に従って、オリジナルは8篇としておく。