火星の月の下で

日記がわり。

ソナタ形式における短調作品の第2主題

ソナタ形式の完成が、だいたいパロックと古典の分水嶺となるわけだけど、その後の形式を決定したのがほぼハイドンソナタ形式で、モーツァルトソナタ形式は、少なくとも古典から初期ロマン派にかけては主流とはならなかった。
長調作品のソナタ形式においては、呈示部第1主題【主調】−第2主題【属調】−展開−再現部第1主題【主調】−第2主題【主調】で、ほぼ差はなかったのだけど、短調作品のソナタ形式においては明確な違いがあった。
ハイドンソナタ形式では
呈示部第1主題【主調】−第2主題【同主長調】−展開−再現部第一主題【主調】−第2主題【同名長調】。
ところがモーツァルトにおいては、
展開部までは同じで、再現部において、
再現部第1主題【主調】−第2主題【主調】となる。
これはつまり、例えば、主調がイ短調だとすると、ハイドンの場合、

第1主題【イ短調】−第2主題【ハ長調】−展開−第1主題【イ短調】−第2主題【イ長調】であるのに対して、
モーツァルトの場合、
第1主題【イ短調】−第2主題【ハ長調】−展開−第1主題【イ短調】−第2主題【イ短調】と、長調で呈示された第2主題が短調で再示され、一種異様な緊張感を生むことが多くなるわけだ。
ハイドンの場合、第2主題が長調に移行したままなので、短調作品であっても、長調終止することが容易だったのに対して、モーツァルトの場合、短調作品が、そのまま短調で終るほうが普通になってしまう。
実際には、第2主題の後にコーダが用意されるので、ハイドン式であっても短調終止は可能だし、モーツァルト式でも長調に終止することはある。
この形式的な差が、曲想において、相当に違う印象を残していることも確かである。
古典派の作曲家は両者に限らず、圧倒的に長調作品のほうが多いのだが、それでもハイドンの方がモーツァルトよりも短調作品は多い。
その数少ない短調作品を比較した場合、モーツァルトの方が圧倒的に悲劇性と緊張感を強く感じてしまうのは、このソナタ形式第2主題の処理も一つの原因だったのだろう。
バロック盛期においては、長調作品はもちろん、短調作品であっても、主調のまま終止することが普通だったけど、バロック後期、ヘンデルくらいから、短調作品は同名長調で終止することが増えてきた。これは、当時の聴衆の好みを反映していると思う。
比較としてはあまり適切でないかも知れないが、今日アニメや映画のドラマ作品において、悲劇的な展開であっても、最後はハッピーエンドを希求するのと似ているのかもしれない。
ロマン派になるとこの傾向は一層進んで、短調作品自体は格段に多く作曲されるようになったけど、大半が、同名長調で終止するようになった。
それだけに、生涯作品の8割以上が主調を長調作品に置いたモーツァルトが、短調作品のソナタ形式で第2主題を短調で再示したのが、強く印象に残るのである。
モーツァルトの音楽の中にひそむ悲劇性は、むしろ長調作品の中に多く現れるように思うが、短調作品の情熱が駆け巡るような曲想には、時に戦慄を覚えるようなところがある。ドン・ジョヴァンニの地獄落ちのシーン、弦楽四重奏ハイドンセットの第2番、弦楽五重奏ト短調、ピアノ協奏曲20番ニ短調等、いくらでもあげられる。
今年はモーツァルト生誕250年とからしいので、まぁ、それっぽいことも少し書き残しておく。(^_^;