火星の月の下で

日記がわり。

○文豪も飯のタネ

唐沢俊一『ファウスト』を語る藤岡真blogさまより)
唐沢俊一検証blogとともに、実は楽しみにしているブログで、ヲタクを飯のタネにしているヤカラのガセ暴きを楽しみにしているのだが、今回のこのゲーテの『ファウスト』を揶揄して喜んでいる一節、というのは、さすがにちょっと血が上りそうになった。
以前も『ファウスト』の真髄、人類文明的意義は、その悲劇第2部、政治劇たるところにこそあって、これによって『ファウスト』がドイツ文学、劇文学から、世界文学になっていった、みたいなことを記録したように思うんだけど、ここで語られている唐沢の妄言は、そういうレベルの話ではなくて、場末のチンピラ文士の与太ごとである。
私は幻想文学よりなんで、ホフマンをあまり評価していなかったゲーテ、疾風怒濤時代をいち早く抜けてしまったゲーテには、心情としてはやや否定的な気分があるのだが、それでもその世界文学的視野、人類的叡智と創造に対しては、畏敬の念を禁じえないし、汲めども尽きぬ詩の源泉として、その巨大さ、深さ、繊細さと雄渾さに深い敬意は感じてきた。それゆえ、こういう言い回しにはさすがに頭にくるね。