火星の月の下で

日記がわり。

シラー『フィエスコの反乱』

シラーの演劇は、どれをとっても劇的演劇の代表で、実に面白く名曲ぞろい。
晩年の『メッシーナの花嫁』、未完に終わった『デミートリウス』、初期の傑作『たくらみと恋』なんかが特に好きなのだが、全作品中かなり影のうすい『ゲヌアにおけるフィエスコの反乱』(ゲヌアとはジェノヴァのこと)も、十代の頃に感銘を受けた作品である。
シラーの初期戯曲3曲、衝撃的デヴューを飾った『群盗』、『フィエスコの反乱』、市民悲劇『たくらみと恋』の3曲は、シュトルム・ウント・ドランク期最後の傑作と言われるが、第3作『たくらみと恋』などは、既にドイツ古典主義の中に足を踏み入れており、もはや疾風怒濤時代よりもシラーそのものの存在が大きくなりはじめた頃でもあった。
だが、この中にあって第2作『フィエスコの反乱』だけは前後の名作にはさまれているせいか、やや影がうすい。
しかし、私は若い頃、この作品も大好きだった。
ジェノヴァ専制君主に対して反旗ののろしを上げるフィエスコ。
共和主義の理想に燃えたフィエスコが、事成って打倒を果たすも、今度は自らが権力の欲に落ちてしまう、といった内容で、理想の実現、そしてその後に陥る「人間」なるがゆえの破滅、といったあたりに、若い頃、心を揺さぶられた。
後年、もっと政治的、思想的に読み解く方法も学んだが、初読時には、大願を達成したその後、の筋立ての方に感銘を受けた。
権力の魔力と、その後の破滅、というテーマは、後に『ヴァレンシュタイン3部作』でさらに深く色濃く描かれるが、前半の共和主義的理想、そして反抗するフィエスコにあたる部分はかなりうすめられていたこともあって、この大願の成就とその後、という観点では『フィエスコの反乱』の方が断然好きだった。
大願を成就したあとの破滅、というのとは少し違うかもしれないが、当時近い感情があったのはシェイクスピアの『オセロ』.
オセローの場合は、政治的悲劇というより、恋するデズデモーナに疑念をもってしまった、という悲劇。
しかも、自主的意志による、人の心の中のなにかえたいのしれない魔的な衝動ではなく、たくらみによる疑念なので、もちろん本質はかなり違うのだが。
ともあれ心の中の魔、という観点では、シラーの動的なスクリプトはすこぶる強い印象を残してくれる。
疾風怒濤時代の劇としても、ゲーテの『ゲッツ』とともに、大好きな作品である。