火星の月の下で

日記がわり。

中世前期アングロサクソン文学(二)〜アルフレッド王以前

承前。
時代としては昨日記載したようにだいたい5世紀末から1066年まで。
繰り返しになるが、1066年をもってカラッとOE時代からME時代に移るわけではないが、アングロサクソン文学史においてはこの1066年以降のノルマン征服というのが大きな節目になるため、こう区切るのは甚だ都合が良いので、慣習に従うだけだ。
一方、開始時期の5世紀末というのは、400年頃のローマ駐屯軍の引き上げ、476年の西ローマの滅亡を受けてのことだが、残された作品の順ということになってくる。
これは同時に教会の進出と関連してくることが多く、ゴート語の貴重な資料であるウルフィラのゴート語訳聖書同様、クリスト教の記述伝播によるところが大きかった。
一般的にいって、アルフレッド大王以前のアングロサクソン文学は詩の時代、そしてアルフレッド大王以後は散文の時代と言える。
従ってこの前期においては主として詩を扱うことになる。
かのゲルマン文化遺産と言ってもいい『Beowulf』もこれに数えられる。
OE時代の詩はほとんどが頭韻詩で、これは古アングロサクソン文学に限らず、AHD(古高ドイツ語)、OS(大陸側の古代ゼクセン文学)においても同様だったようで、詩としてはまったく残っていない東ゲルマンの諸語、ゴート語やブルグンド語、ヴァンダル語においてもおそらくは頭韻詩が伝えられていたのではないか、と推測される。
それは西ゲルマンのみならず、東ゲルマンの母体ともなった北ゲルマン諸族においても痕跡が認められるからである。
初期の詩の残存状況を見ると、Eddaや諸Sagaの例を出すまでもなく北ゲルマンにまとまったものが多く、ついでこの古アングロサクソン文学に豊富に残っている。
大陸側、ドイツにおいて残存状況、保存状況が芳しくないのは、北に比べてクリスト教の浸透が早かったこと、ブリテン島に比べて異教排斥が苛烈だったこと、などが関係しているのだろう。
今『Beowulf』と『Das Hildebrandslied』という両者最古の民族英雄叙事詩を比べてみた場合、『Beowulf』の方が保存状態が良い。『Das Hildebrandslied』の方は断片であり、完本ではないからだ。
北ゲルマンにおける教会との関係はひとまず置くとして、ドイツとの比較で見てみると、ブリテン島におけるクリスト教の布教、あるいは異教文化に対する姿勢はかなり寛大で、異教文化、文物、遺跡を破壊しようとするのではなく、むしろ積極的に利用しようとした。
これによって異教時代の産物がかなり保存されたのであろう。
ブリテン島に宣教師が渡り始めた頃のローマ教皇は、中世クリスト教文化を再興した人物の一人グレゴレリウス1世(540-640)で、その彼がアウグスティーヌスらを派遣する。
そのアウグスティーヌスら40人の宣教師が、いまだブリテン島を制圧しきっていない時期のアングロサクソン人に布教を開始する。
まずケントに上陸し、そこの王たるエゼルベルフトを改宗させることに始まって、勢力を伸ばしていくのだが、このとき教皇からアウグスティーヌスの配下であるメリトゥスにある書簡を送っている。
そこには「アングロサクソン人の異教寺院は破壊せずに、偶像だけを壊し、施設を利用せよ」と書き送っている。
それによって住民は昔から通い慣れた寺院へやってくるから、というのである。
また「悪魔に牛をそなえる風習も力尽くでやめさせるのではなく、牛を殺すのは許して悪魔にそなえるのではなく住民が食うようにしろ、そうすれば食う楽しみが残るから、霊の歓喜に導きやすくなる」と指示したりしており、大陸の苛烈な弾圧とはかなり一線を画するものであったようだ。
いま、その前期の詩、Beowulf以外にもDeor、Elene、Widsith、The Ruin、その他諸々の詩、断片、宗教詩などを見ていく前に、金石文資料とも言い得る十字架に刻みつけられたものをふりかえっておく。
Dumfriesshireに残る「Ruthwell」という教会に、およそ8世紀前半ではないか、と推定される大きな十字架があり、ここにルーン文字で「十字架の夢(The Dream of the Rood)」というOE詩が刻みつけられている。
「Ruthwell」は「リヴル」と発音されるようであるが、今日の英語式発音でルスウェル、あるいはラスウェルなどと呼ばれたりもしているようだ。
語源的に「ルス」あるいは「ラス」と発音するのはいかがなものか、という気がしなくもないのだが、昨日書いた通り、英語学は専門ではないので、風習に従っておきたい。
ともかく、この住民にとって神秘的なものであったルーン文字を、クリスト教の十字架の意義に置き換えていく手法で、上記の寛大な布教とともに効果的な手段であったことだろう。
民族詩や異教の詩がクリスト教化されてしまった、という一面はあるにせよ、まとまった形での記録は教会の手法があって初めてできたことであり、何より大陸の異教文学よりはるかにその影響が少なかったことを思うと、隔離されたような形でもあるこの島の文化として有効だったのではないかと思う。
その点、北のアイスランドに中世ゲルルマン語文献が豊富に残っていた、ということとも似ているのであろう。
個々の詩については、また明日に書く予定であるけれど、OEのフォントが出せないので、個々の実例を出して検討するという手段は涙をのんでとりやめ、全体的な感想という形で残していきたいと思っている。
そのあとに『Beowulf』、そしてアルフレッド以後の散文について外観したいと思っているが、まぁ、予定は未定にして決定にあらず、ということで。