火星の月の下で

日記がわり。

西ゲルマン文学600年周期説と中間の沈滞期

最近はとんと言われることが少なくなったようだが、半世紀くらい前までの文学史著述ではちょくちょく書かれていたドイツ文学600年周期説。
現在ても岩波文庫別冊の『ドイツ文学案内』でもその残滓が見える。
1800年*1と1200年頃*2にドイツ文学の隆盛期があったので、おそらく西紀600年頃にも隆盛期があったはずだ、とするもので、さすがにこれを真顔で書く著作物はめっきり減ったように思うし、そもそも600年頃ならドイツなんて国はまだほとんどなかったと言っていいので、用語としてもせいぜい「西ゲルマン文学」とすべきだろう、とも思う。
また、現存している異教文学資料も最古の層に属するものとして『エッダ』『ヒルデブラント』『ベーオウルフ』と言ったあたりがあるだろうけど、いずれにしても8世紀を遡りえない。
つまり7世紀前半の異教文学を現地語で記録したものは現存しないのだ。
にもかかわらずこの時代に「隆盛期があった」と信じられているのは、単に600年という間隔にこだわっただけではなくて、「ありえたかもしれない」と思わせる歴史背景があったからだろう。
つまり5世紀の後半に西ローマ帝国が終焉を迎え、東ゴートやブルグンドの英雄王達の記憶が残ったこと。
8世紀末に始まる最古の層に「頭韻詩」という共通項がしっかりと刻印されていること。
西帝国終了後の教会が布教していく過程で「文字による記録」が試み始められたこと、このあたりが600年頃とうまくかみあうからだろうと思う。
奇しくもその直前に難事を体験し、そこから這い上がってきた、と考えることとも一致する(ように見える)点もある。
つまり一連の宗教改革戦争、ヴァイキングとの戦い、民族大移動及び西帝国の崩壊が、そのそれぞれ200年くらい前にあるから。
600年周期説は証拠もなければ実物も現存していないので、浪漫主義的学者、評論家の頭の中のできごとだったけど、興味を引くのはその間の沈滞期のことである。
一応この600年周期説があったとして、それぞれのあいだの沈滞期が存在する、これがなかなか興味をひくのだ。
もちろん600年周期説に限らず、何かが隆盛を極める前に沈滞期があるのは当然なのだけど、ドイツの場合その沈滞期の原因が極めて明瞭な変動によってなされているのが興味深い。
その中で16世紀から17世紀にかけて行われた一連の宗教改革戦争。
詳細な文学史であればこの間にも生まれたいくつかの作品は記載さているが、いかにも沈滞期といった感じである。そして次なる隆盛期が、仮に600年周期の2400年頃だとして、ちょうど現在くらいから沈滞期に突入していくことになる。
この辺は「証拠のない仮定」の上に積み上げていった虚構の仮定にすぎないけど、思考実験としてはちょっと面白いかな、なんて思ってしまう。
時期としては少し早いけど、沈滞期の原因として2つの世界大戦があったし、その結果国土がめちゃくちゃになった、というのも三十年戦争との対比にもなるからだ。
でまぁ、言いたいこととしては、現代のドイツ文学につまらないものが多い、ということなんだよなぁ。もちろん面白いものもあるけど全体的傾向としてね。
周辺諸国に比べて、社会主義的傾向(共産主義的、ではないので念のため)作品や、やたら数字にこだわる決算報告書みたいな評論が多かったりとか。
これだけのことを書くつもりだったのに、えらく大げさなことになってしまったが、要するに現代の主流ではない、沈滞期の文学のように感じてしまう、ということかな。

*1:ゲーテ・シラー時代、及びドイツロマン主義

*2:ハルトマン、ヴォルフラム、ワルターらの時代、所謂ミンネザング。