火星の月の下で

日記がわり。

浪漫派演劇の不完全燃焼

18世紀後半に起こった独逸ロマン主義(フランスでは少し遅れて19世紀前半)だが、今日作品で見ると、散文と詩が主流を占めているようになっている。
しかし英国を除く大陸側諸国では同時に理論も盛えていた。
特に独仏の両国は、それぞれ18世紀後半と19世紀前半に、新しい文学の形を模索して様々な理論が形成されていった。
独逸観念論などもその範疇に入ってくる時もある。

その中で、理想の文学形態ととらえられていたのが劇詩、つまり物語性を持つ戯曲のことで、その中で実現可能になりそうなもの、即ち韻律、物語、演技、舞台美術、そして時には音楽といったものが総合芸術として昇華していくことが期待された。
ただ残念なことに、この時代、それを満たしうる哲学的劇詩人は生まれなかった。
もちろん演劇作家として当時著名だった人・作品は各国に存在し、それぞれの言語文化史の中で重要な役割をはたしているものの、その思想的哲学的理想を作品化するまでには至らなかった。
シラーやクライスト等は時代を、そして人類を代表する劇作家だったが、総合芸術の観点から見るとはたしてどうだったのだろうか。
ここに浪漫派文学活動の難しさがある。

皮肉なことにそういう総合芸術の浪漫派としては、芸術分野において最後発だった音楽家の側から実現していく。
今日独逸浪漫派音楽の出発点として目されているウェーバーの『魔弾の射手』などもその観点からの評価である。
こんなことを書くのも、えてして日本の鑑賞家たちの間に、浪漫派音楽というと浪漫派哲学とは無縁のところで、そのムード、雰囲気だけで決めつけてしまっている場合が相当多い。
ベートーヴェンの後期作品群、即ち『第九』以後のピアノ奏鳴曲(第30番以降)、弦楽四重奏曲(第12番以降)などが、音楽として見ればそれは既に古典派の枠を超え、現代音楽(12音、あるいは無調派)に近いところまできている。
古典派の枠には収まりきらないので、古典派の次、浪漫派である、という風に考える人もいるようだけど、総合芸術という観点からだとかなり弱い。

そこへ行くとウェーバーはまさにこの条件を満たしている。
当然のごとく、その前に現れていた音楽家・芸術家ホフマンも同様、というか、むしろもっと濃密だった。
その観点を鑑賞家は忘れてはいけないと思う。