火星の月の下で

日記がわり。

『ドイツ幻想文学の系譜』を読む

けっこう前の本なんだが、ヴィンフリート・フロイント著『ドイツ幻想文学の系譜』を読む。
ドイツの文学評論の典型的な匂いが充満してて、ちょっといやだったり面白かったり。(^_^;
総論、およびジャンル的分析に関しては、まさにドイツ流で、執拗に個と社会、時代の変動と「不安」要因が語られてて、テーマを分類して作品そのものの中に切り込んでいくフランスや英国の評論スタイルとはかなり違う。
個々の作品に関しては、そのディテール、成立事情、反映される作者の心理、なんかを見せてくれてて、有用であると同時に生煮え感も漂う。
フランスの優れた幻想文学論を読みなれている身には、正直、脂っこすぎて胃にもたれるようだ。
こういう書籍の登場は良いことだと思う反面、世界幻想文学の中におけるドイツの特異性をいまさらのように感じてしまう。
テーマの分類にしても、「恐怖」や「怪奇」に偏りすぎてて、軽妙なフモール、きらめく幻想、妖精、驚異といったものにはかなり目を閉ざしているし、かなり偏向性は感じる。
思うにこれは幻想文学に対するドイツの立場をよく表しているのではないだろうか。
近代幻想文学はドイツに端を発し、成熟し、そして諸外国に散っていった。
英国ゴシック小説に端緒を求めるむきもあるけど、同時代、同量のドイツ・ゴシックが存在していたことや、英国ゴシックがドイツ・ゴシックやスペイン騎士小説の影響下にあったことを思うと、英国ルーツ説には首をかしげざるをえない。
一方、後発国である、フランス、ロシア、南米諸国は、このドイツ幻想文学に触発され、それぞれの国で優れた作品を生産していく。ドイツ同様幻想文学的資質をもつ英国、スペインにおいてもその影響は顕著だった。
ドイツには最初から文学の中に不可分のものとしてあった「近代幻想」が、ドイツ以外の先進国では後天的に加えられていく。
それゆえ、そういった後発国の理論は明快で鋭利である。
ところが、そういった理論を求めなくても既に「あたりまえ」のものとして文学芸術の中に存在しているドイツでは、そういったものに対してモティーフが大きすぎて、しぼりこむ必要があった、ということなのかもしれない。
幻想文学の優れた評論の多くが、フランス語、英語で書かれていることと、密接に関係していると思う。
本書は外装を1枚ずつめくっていく緻密さは感じるものの、内面の本質に切り込んでいない不満も感じる。だがそれは個々の作家論で考えるべきこと、ということなのかもしれない。
ただ作家論でも、こういった社会と個を対立させて論ずるのが好きなんだよなぁ、ドイツの評論って。
その方が客観性に優れているし、論破しやすい、納得させやすい、っていうのはあるんだけど、もう少し全体論としての内奥にも踏み込んでほしい、というのが、正直なところ。
しかしかといって本書が全然つまらないものであったか、というとそうではなく、個々の作品分析は短くはあったけど、けっこう面白い。
日本ではまだ翻訳されていない作品も2作あがっているが、訳者によって簡単なあらすじがつけられているので、あまり不備は感じない。まぁ、コンテッサの方は邦訳こそないけど、以前原文で読んではいたが。
作者は意図的に19世紀短編作品に限定して書いたようなので、もう少し俯瞰的に見るものもほしいところではある。
18世紀のゴシック、騎士小説*1なども見てみたいし*220世紀前半のマイリンクを頂点とした20世紀の系譜にも興味がある。
バラッド等の幻想詩、吸血鬼詩、悪魔詩、なんかも、俯瞰したものがほしいけど・・・これは自分で探したほうが早いかな。

*1:ただし著者は、18世紀のドイツゴシックを幻想文学だとは認めていない。この辺、かなり異論のあるところだが、これは著者の文学姿勢なのだろう。

*2:昨年11月に同じ出版社から刊行された『ドイツのゴシック小説』がこれにあたるとは思うが、なんせ高価な本なので、まだ未読。