火星の月の下で

日記がわり。

1975年のできごと

昭和50年、1975年というと、ヲタ的には年末の第一回コミケだが、当時はまだ東京のローカルイベント。
作画グループをはじめ、大手はほとんど参加していなかった。
しかし幻文マニアにとってはこの年、けっこう重要な事件が起こる。
そう、国書の「世界幻想文学大系」シリーズのスタートであった。
当時、これにはかなり驚かされたし、また、東京創元の「怪奇小説傑作選」以来の、なにか大きな時代が動いたような気持ちにもなった。
以前も少し書いたけど、当時はまだ真っ赤っかな左巻系、マルクス文学系が元気の良かった時期なので、幻想文学はかなり日陰者の身、もしくは攻撃対象ですらあった時期だ。
そんなときにこのシリーズが刊行されたのだ。
第一回配本がボルヘスの『創造者』。
全15巻のシリーズの第15巻で、ここから配本が始まる。
当時はまだロシア幻想文学にすらまだ本格的には入りこんでいなくて、ドイツを中心に英米仏伊、といったところをポツポツ読んでいた頃。
それゆえラテン語圏の大鉱脈がここから掘り起こされていった意義もたいへん大きかった。
そのラインナップもけっこうなマニア心をくすぐるもので、現在では幻想文学の古典中の古典、ほとんど基礎教養といっていいくらいの『マンク』『悪魔の恋』『メルモス』『魔女の箒』『悪魔の陽の下に』『エジプトのイザベラ』なんかが次々と並んでいた。
初訳ではない、あるいは単発的に雑誌等に発表されたものの再録なんかもあったけど、とにかくそれらがまとまった体裁で出てきたことに、すごく驚いたわけだ。
『エジプトのイザベラ』や『マンク』なんかはそれ以前、原文で読んでいたが、そういった名作が日本語で読める意義もたいへん大きく、躊躇なく全巻を予約購読していった。
その後、この大系は第2期、第3期と発展していき、さらに同様の趣旨として、ドイツロマン派全集などにも結実していく。
あの1975年の衝撃から、今年で40年。
いまやすっかり幻想文学は市民権を得たように思うし、少なくとも「反動」だの「退廃」だののレッテルを貼られて、読まずに罵倒される、なんてこともなくなってきた。
それゆえ歴史的大事件のようなできごとは、国書の大系第1期を最後にしてなくなってしまったが、それはそれでいいことなのだろう。
はたして50年目、60年目もまだ生きてその過去を楽しめるだろうか。
もう残された時間もそう多くはなくなってきている。
悔いの無いように読みふけっていきたいものだ。