火星の月の下で

日記がわり。

韻文学の立場から

幻想小説幻想文学と言う言葉は時に同義語のように聞こえることがあるが、大まかな枠としては間違っていないだろう。
もちろん例外は出せるが、大きな潮流としては現代ではかなりかぶさる点が多い。
だが多くの創作が歌謡、韻詩の中から生まれてきたとの同じく、幻想文学という潮流においても幻想詩、韻文としての幻想文学がいくつも読まれてきたのは間違いない。
むろんここで言っているのは「近代」幻想文学としての韻文であって、古代歌謡や神話、伝承詩としてのそれではない。
言葉の定義をどんどん絞り込んでいく手法については、碩学ヴィンフリート・フロイントを始め、多くの素晴らしい業績がある。
だが、その絞り込みの途中でそぎ落とされたのではなく別定義を与えられてしまった韻文についてどう考えるべきか。
網羅的、かつ共時的文学史、もしくは作品史、というものをもっと読んでいきたい。
そういうものもないではないのだが、あまりに少ない。
加えて、そこにバラッドや劇詩が入ってくると、分類の難しさはいっそう顕著となる。
いつまでも大文豪の作品の中から拾われる浪漫的幻想詩に頼っていてはいけないと思うのだが・・・。
いずれにせよ、もう少し時間をかけて考えてみる問題だろう。
ベッケルの詩を読みながら、つらつらと。